案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年7月17日月曜日

野上電鉄 日方の車両1

野上電鉄は紹介済みですが、未使用の写真で昭和40年の野上の車両を紹介します。この頃は関西大手私鉄の残党が殆どであった。以下は前回の紹介文です。

日方駅は国鉄海南駅と接続していないため、80mほど先に乗換え専用の「接続口」駅がある変わった駅であった。この二つの駅の間に拡がっている留置線には、南側に迫る和歌山の山並みを背に、至るところ元阪神の小型車オンパレードであった。よくぞこれだけ同類を集めたもので、5枚窓モハ24以外はどの車両もよく似ている。富山地鉄笹津線からやって来た小さなデ10型が入線したのはこの後の時代であった。後に人気者となった元阪神5枚窓のモハ24は既に入線していた。

野上電鉄で最も大型だった3扉のモハ23(元阪急1形26)。この車両もまた電動機とブリル台車は南海の中古品を流用したらしい。こんな由緒ある名車が活躍していた時代であった。
日方 1965.8.4 

モハ24(元阪神)、と発車間近のモハ32(元阪神) 日方 1965.8.4

左からモハ26(阪神) クハ104、 モハ31(阪神)+クハ101  日方 1965.8.4

左からクハ104、 モハ26(元阪神)、 モハ31(元阪神)+クハ101   日方

日方の車庫

庫内には元阪神869(→野上モハ51)の車体がマルーン色のままで置いてあり、あちこちに外された様々な電動機が積み上げられていた。この車両も他の譲受車の中古台車を流用して登場したようだ。  日方車庫

国鉄海南駅の山側から野上電鉄が出ていて、海側からは和歌山軌道線が出ていた。

国鉄海南駅の煙。 どの写真も背後に山並みが迫る。

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

869の改造前の姿は貴重ではないでしょうか?他の車体は各停用1000だった中唯一の急行用(=喫茶店)でしたが出場後は喫茶店スタイルでなかったのが残念でした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
阪神からきた4両の喫茶店スタイルはどれもあまり活躍しなかったようです。
野上仕様に改造したモハ51 52を写真で見ると、あの独特の貫通ドアもそまままなんですね。
あの高貴なスタイルは田舎電車に似合わず反って無残の姿だったように思えます。
その点、元阪神(明かり窓付)のモハ31、モハ32等は誠に野上に似合っていたと思います。