案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年8月17日月曜日

西武多摩湖線 最後の101系

初めて西武多摩湖線を訪問したのが101系が引退するのを聞いて駆けつけた2008年の1月末。身近にいながら多摩湖線に乗ったのはこの時が初めてであった。
この日、一橋学園の交換駅と小さな片面ホームの青梅街道駅でローカル私鉄風の消えゆく101系を追いかけた。

この時の101系引退の撮影が多摩湖線との縁であった。それ以来、玉川上水の雑木林を抜けて走る今の新101系を四季折々撮りにくるようになり、その後リバイバルカラーやオール電動車の登場で益々楽しみが増えてきた。そしてこの101系をきっかけに新宿線の新101系2+8連を追い回すようになってきた。
しかし、数年前に新宿線の新101系も消え、多摩湖線の新101系もカラーリングが変わりすっかり足が遠のいてしまった。

朝の一橋学園   2008.01.29~30
一橋学園は中央線国分寺まで一駅の便利さと、武蔵野の自然が調和している。

リバイバルカラー261Fがデビューした日  2009.03.30
玉川上水の雑木林の向こうを多摩湖線が行く。
新101系に統一されて、暫くしてリバイバルカラー261Fが登場した日は、2009年の暖かい春の陽気であった。玉川上水の雑木林から多摩湖線を狙うには12時の日差しがちょうど良く、この日初めて多摩湖線の春の素晴らしさに気付いた。

以下は撮影 2008.01.29~30
玉川上水を渡る
一橋学園を発車し国分寺へ向かう。

 青梅街道駅に進入するたまこ101系。
 
引退直前の101系、新101系に比べ丸顔でこちらの方が「たまこ」のイメージがする。

引退間近い101系を惜しんで乗りに来た人も。 萩山

 運転台が低く客席から前方がよく見える101系。

この後、新101系に統一された多摩湖線。  萩山

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