案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年6月16日火曜日

日光軌道線 山岳電機 町中を行く

日光軌道線の貨物輸送は国鉄日光駅から国鉄貨車をそのまま清滝にある古河電工まで運び、日光駅での積み替えなしで輸送されていた。昭和22年に山岳電機ED600形(元国鉄アプトED40形)2両が導入されたが、元アプト式のため運転台が片方しかなく貨車の最後部に連結してプッシュ登坂し、帰りは機関車の背中側を先頭に坂を降りてくる。こんな異様な光景はさぞや見ごたえがあったことだろう。

昭和30年に新鋭の山岳電機ED611が導入され、登り下りとも機関車が先頭について牽引するまともな列車編成となり貨物輸送の効率化が図られた。

日光軌道線は馬返までの9.6Kmは平均32‰、最大60‰と勾配につぐ勾配で、東武日光駅を出るとすぐに神橋まで最大で58‰の急勾配を登る。電車も凄いが、新旧の山岳電機もよくこんな急勾配の併用軌道を登坂したものである。路面電車のきついカーブ(改修はしてあるが)や軌道(レール)のねじれなどで脱輪など起きなかったのだろうか。

  撮影:田辺多知夫氏 1967.12.21

町中を走るED611貨物列車、東武日光駅前を出るといきなり最大で58‰の急勾配を登る

警察署前で交換

写真をよく見るとこの大通りがいかに急坂であったかが分かる.
この区間の勾配は最大で58‰

参考:鉄道ピクトリアル増刊 「私鉄車両めぐり第3分冊」1962年 

6 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

日光の大通りをこんな貨物列車がしずしずと走るなんてやっぱりファンキーですね。

先日産経新聞に次世代路面電車の話題が出ていました。宇都宮、静岡、名古屋等で導入が予定されているようですが、廃線跡の70%が残っている日光でも再敷設されたらいいですね。

それまで難題もありそうですが・・・

にわとり さんのコメント...

いつも楽しく拝見しています。
素敵な雰囲気ですね。
それにしても機関車牽引列車で58バーミルとは驚きですね。

なと。 さんのコメント...

もとの電車道をよく通りますが、電車単独ならまだしも電機牽引の貨物列車がよくもあんな急勾配を走ったものだと感心というかびっくりさせられます。

交換所のトラスビームは今も一枚残っていますね。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
次世代路面電車の話題は楽しみですね。
日光軌道線の一部でも復活するとよいのですが確かに難題はいろいろあるでしょう。
万が一復活するとしたら観光都市にふさわしい先進デザインのハイテク路面電車になるでしょうね。
お遊びのレトロデザインや観光広告ペイントだけはやめてもらいたいものです。

katsu さんのコメント...

にわとりさん
あまりの急勾配で戦後すぐに導入する時は、国鉄の急勾配で働いていたお下がりのアプト電機に飛びついたのでしょう。国鉄アプトED40のこんな超ゲテモノが全国の私鉄にばら撒かれたのが驚きです。
日光軌道線でその後登場したED611は、抑速電気制動以外は高登坂仕様の装備無しのごく普通の電機だったようです。ほんとうに驚きですね。

katsu さんのコメント...

なとさん
日光軌道線が廃線になってから私も軌道線があった道路を何度もクルマで走った事がありますが、かって軌道線があった事をすっかり忘れていました。数年前の日光観光で急に関心が高まり、写真を改めて見て軌道の余りの急勾配にびっくりしたところです。
クルマで走ると馬返しまで何も感じなかったのが、かっての軌道線を頭に入れて走ると感じ方が変わるのでしょうね。