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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年6月1日月曜日

豊橋鉄道 渥美線の車両3

以前「渥美線の車両1、2」を紹介をしたことがありますが、引き続き「渥美線の車両3」で電機やその他の車両を紹介します。渥美線で初めてオリンパスペンSを使い始め、ここに登場する脇役達の殆どはオリンパスペンのハーフサイズフィルムで撮ったものです。

何の変哲もない渥美線だが昭和38年に訪問した時は魅力あふれる車両がまだ活躍していた。元ガソリンカーの制御客車化がごろごろしていて木造電車もまだ走っていた。そして電機もいろんなタイプがいて木造車体の電機までいた。愉快な車両達はこの後一気に淘汰されてしまったのでしょう。

全て1963.04.04  高師にて

朝の高師駅. 元神中鉄道ガソリンカーを改装したク1500形など凄いのが走っていた.
通勤時間帯に次々やってくる電車のバリエーションが豊富なこと.

高師車庫の全景.  今では周辺もすっかり変貌していることでしょう.



いかにもあり合わせの部品で作ったようなこんな電機がいた.デキ851

 名鉄自社工場製のデキ851はなんと木造車体の電機で木目が見える

渥美電鉄より引き継がれたデキ151  木南車両製の南海タイプ

デキ151のブリル27-E

デキ1001 西武所沢工場製

渥美電鉄創業当時の電動客車を貨車に改造した デワ33

デワ31  どこの地方私鉄でもこんな電動貨車をよく見掛けた.

元ガソリンカー ク2280形車内  当時の車内広告が興味深い

元三河鉄道のキハ150で制御車に改装された魅力溢れるク2280形

通勤時間帯に活躍していたク2280形(2281)
元ガソリンカーがすっかり電車に馴染んでいる.
木造車と組んだク2280形(2283)

名鉄谷汲線からやってきたモ120形(129)の車体

モ120形(120) この4年前までこんな車体にパンタを載せた2軸電車の姿があった.
走っている姿を想像するだけで楽しくなってくる.


13 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

これはまた、波ものの風景と車両ですね。
前照灯もオリジナルで良いですね〜。
ガソリンカー改造クハは大好物です。

Cedar さんのコメント...

Cedar親子は遅れる事5年、昭和43年に行きました。ガソリンカー改クハは健在で、三河の小形はシールドビーム2灯に新塗装になってたのはビックリでした、相方は変わってましたが…。

常夜燈 さんのコメント...

ク2283の相方がモ150形で渥美電鉄開業時の
木造車です。ク2280形の車内で見られるように
殆どが直接制御車でした。ラッシュ時には
3組(6両)にそれぞれに運転士が乗って
ブザーを合図にノッチを入れていました。
モ120形は半鋼車で間接制御車でしたが
先に廃車になりました。

宵闇 さんのコメント...

600V末期の渥美線も個性的でしたが、この時代まで遡るともはやゲテモノ感が漂いますね。
電気機関車151の台車がバーサスペンションなのが良いですね。

この時代だと三河田原の先、黒川原までの廃線跡もきれいに残っていたのでしょうね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
ガソリンカー改造のクハをうまく模型化していますね。
実車の魅力をそのまま模型に表現するあたりのダントツさがいかにもchitesuさんならではです。
元ガソリンカーのクハは電動車に組み込まれることで凸凹編成の魅力が湧いてきますね。

katsu さんのコメント...

cedarさん
昭和40年代に入ると地方私鉄にハデハデな赤系カラーリングと2灯化などが流行りましたね。
化粧と目玉が変わってしまうので美人の電車も一変に興ざめになりました。
渥美線のその後は知りませんでしたが新カラリーングと2灯化になりましたか。
元ガソリンカーのクハも台無しでしたね。
渥美線に限らず魅力的な上下ツートンカラーの時代は落ち着いた田舎カラーで、
何とも言えない魅力を感じたものです。
今の時代でも三重交通リバイバルカラーなんてに塗られると新鮮で別物に見えてしまいます。
ローカル路線(私鉄)に昔のカラーリングの良いところをドシドシ取り入れてもらいたいものです。

katsu さんのコメント...

常夜燈さん
運転手3名で6両編成が走ったとは驚きました。
凄いですね。そんなことがあったのですか。
私が訪問した時は朝の早い時間のせいか2両編成ばかりでした。
単車モ120形が走っている姿を見てみたかったものです。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
この頃の渥美線は確かにゲテモノ的でそれが当たり前の時代でした。
こういう車両を見てしまうと、その後の渥美線の車両は当たりまえ過ぎて関心が失われます。
この時の渥美線訪問は東京から浜松へ夜行列車で向かった時の時間調整で豊橋に立ち寄ったもので、
それほど関心もなく当たり前を撮ったのですが、今写真を見ると関心が大きく変わるものですね。

伊豆之国 さんのコメント...

渥美半島には、今から17年ほど前に行ったことがありますが、豊橋から観光バスで伊良湖岬までの往復で、半島の中ほどの田原が終点で、観光客にとっては中途半端な路線といった感じの渥美線は、豊橋駅を通るたびに見える電車の姿しか、結局見ることはなかったのでした。その観光バスが立ち寄った亜熱帯植物園?には、渥美線で活躍していた電気機関車が保存されていたのを見ているのですが、雨ざらしになってかなり傷んでいた様子に見えていたので、果たして今でも残っているのでしょうか?市内線のほうには、豊橋でできた余裕時間を使って、城跡まで往復したときに乗ってきています。
小学生だった頃、鉄道F誌で、土砂崩れで一部不通となったまま廃線となった田口線の、その不通区間内に取り残されていた車両「36号」が、廃線後に「救出」されて渥美線で現役に復帰した、という記事を見た記憶があります。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
渥美線はとても地味な路線と思います。
豊橋から伊良湖岬へ向かうには豊橋でバスに乗るのが便利なんですね。
戦前までは田原から先の黒川原まで線路が繋がっていたそうですが、
田原からたった2.8キロ先では中途半端に変わりはありませんね。
廃線になった田口線の車両はモ38号が渥美線に入線していたようです。

元・いきもの部長 さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
元・いきもの部長 さんのコメント...

すみません、誤記があったため削除、再投稿させていただきました。
バラエティー豊かだった頃の渥美線、魅力的ですね。
ところで、重箱の隅を突くようで申し訳ありませんが、元神中鉄道のク1500形はガソリンカーではなくディーゼルカーでした。
ク1500形についてはWikipediaでも「神中鉄道の流線形気動車」と記述されているだけで、これではディーゼルカーであったとは思えませんね。
神中鉄道での詳細は、Wikipedia「相模鉄道の気動車」をご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E3.82.AD.E3.83.8F40.E5.BD.A2.E2.86.92.E3.82.AD.E3.83.8F50.E5.BD.A2
一方、元三河鉄道のク2280形は軽便並みの小さな車体が可愛いですね。
しかし、このサイズにかかわらず製造時は3扉で、中央の窓2枚がちょっと狭いのがその名残です。
これは、岡崎駅前~挙母(豊田市駅の旧称)の直通運転用に製造され、600Vの軌道線と1500Vの鉄道線の双方を走行するため、両端には1段ステップ+折りたたみ式ステップの軌道線用扉、中央には通常の高さの鉄道線用扉を設けていました。
言うなれば、京阪「びわこ号」の気動車版という感じでしょうか。
戦前の私鉄気動車で客用3扉は、他に東横線の流線形気動車だけではないかと思われます。
大きさはかなり違いますが、ともに架線の下を走る気動車でした。
J.W. Higginsさんの『発掘カラー写真昭和30年代鉄道原風景 西日本私鉄編』30ページに3扉だった時の姿が掲載されています。
前面がびわこタイプの流線形だったら、なんて妄想したくなる車両です。

katsu さんのコメント...

元・いきもの部長さん
ご指摘ありがとうございました。
元神中鉄道のク1500形はガソではなくディーゼルだったのですね。
ピク誌記事ではガソリンカーでした。

あの三角電車の原型であるディーゼル・エレクトリック車が走った旧相模鉄道の話題は
今回のびわこ型ク1500形に限らずややこしいですね。
車両在籍と旧相模鉄道(現JR)、神中鉄道、現相模鉄道の関係を把握しようとすると胃が痛くなります。
ややこしい元神中鉄道は要注意ですね。

元三河の気動車の3扉時代の姿(S31年)が鉄ピク「私鉄車両めぐり」豊橋鉄道にも掲載されています。
ほんとう愉快な車両で、この時代は奇抜な小型車両がいろいろといたようですね。