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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年6月15日月曜日

日光軌道線 1枚の写真から2 

青蛙さんから興味深い1枚の写真の提供がありました。

東武日光駅に佇むED602(元国鉄アプトED40形)
   1968年2月  撮影:青蛙氏

手前の日光軌道線から1本の線路が東武日光線へ向かい、そこから国鉄日光線を越えて国鉄駅貨物駅へと繋がっていた。時は1968年2月、1枚の写真からいろいろなことが読み取れます。

軌道線日光駅の貨物線とループのイメージ図.鉄道ピクトリアル誌 1962年

5 件のコメント:

kak さんのコメント...

とても珍しい写真を有難うございます。
貨物線の様子が良く分かります。
廃止直前で、新旧の電機がここに留置されていたのですね。
右手の木造の建物は、Google Earthを見ると、今でも外装を変えながらも残っている様ですね。

katsu さんのコメント...

kakさん
写真は廃止直前の光景でその通りと思います。
清滝に残されていた旧電機ED602を新電機ED611が牽いてきたのでしょう。
この旧電機が今では大宮の鉄道博物館に鎮座で素晴らしいですね。
日光駅の線路イメージ図を貼っておきました。
写真で右手に国鉄日光駅前に向かうループ線も見えますね。

kak さんのコメント...

katsuさん

この配線図こそ、私が探していたものです!
ご掲載、誠に有難うございます。
古川の倉庫の裏で、機回しが出来る様になっていたのですね。
昔の航空写真等を見ると、日光線には、おそらくダイレクトにつながっていたのではなく、その手前に小さな留置線(今の宇都宮側留置線付近)があって、そこで貨車を溜めていたと想像します。
東武本線にシンプルに接続しているのは、貨物の直通が殆ど無く、それ以外の用途でしか使用しなかったからでしょうね。

写真を見ると、国鉄日光側から車庫に直接入る線もあったのですね。
複線で奥右にカーブしているのを見ると、貨物線からの分岐線の方は、すぐに車止めでもあったのでしょうね。

kak さんのコメント...

御友人の青蛙様にも御礼申し上げます。

katsu さんのコメント...

kakさん
私も当時の航空写真を見てみましたが、国鉄日光線構内へ坂を下るところが明確に判りませんでした。
配線図は全ての線路を正確に描いたものではなくイメージ図です。
東武本線の日光駅では貨物扱いはしてなかったようです。
左の貨物線から分岐して右へカーブしている線路は、国鉄日光駅前のループ線に合流していたのではないでしょうか。