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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年12月14日日曜日

貴志川線 伊太祈曽

この1ヶ月間でよく読まれている小ブログのアクセス・ランキングで、2011年8月にアップした過去記事「貴志川線 伊太祈曽の車庫」が直近記事を抜いてトップでした。
伊太祈曽という奇妙な駅名、そして愉快なガソリンカー崩れの電車など、気になる伊太祈曽駅に惹かれて更に未公開画像を集めてみました。

真夏の陽がガンガン照る交換駅伊太祈曽にやってくる電車はどれもこれも何と奇抜なことか。電車を撮るだけでも楽しい鉄道で飽きることがなかった。どう見ても電車なのに過去をたどれば元ガソリンカーばかり、まともな電車は元阪急くらいか。

真夏の伊太祈曽 モハ202  1965.08.04

元江若のモハ206は押しつぶされたような?電車で、元ガソとはとても思えない.

気品ある元阪急のクハ804

元片上のクハ803  こんなタマゴ型デッキ付が電車であるのが愉快.

モハ201+クハ803 こんな電車の風景はすべてが絵になる.


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6 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

百鬼夜行の貴志川線の電車、楽しいですね。
私はバケット付きのクハ803がお気に入りです。
いつかは模型で作りたい電車です。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
様々なガソリンカーのボディがchitetsuさんの工場に入って地鉄仕様の電車に化けて出てくるのが目に浮かびます。ただの電車ではないこんなガソ崩れの電車は手持ち台車の組み合わせを考えるだけでも楽しいですね。
実物でありうることを模型でやるか、スケールモデルで行くか、
クハ803を模型で作るとすると、どんなことになるのでしょうか。

Cedar さんのコメント...

始めて和歌山に行ったのは昭和42年、流石にガソリンカーの成れの果ては消えていたようでした。
〜なんて実は南海和歌山軌道線→野上電鉄に行ってしまったのでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
昭和42年と言えば貴志川線もまだまだ昔を残していた時代だったと思われます。
しかし、その後の南海本線の大型車の投入で、それまでの奇怪な電車は一気に消滅してしまったのではないでしょうか。
それまでの車両が淘汰されたその後の貴志川線は別世界の感じがします。
その点、和歌山電軌や野上電鉄は廃線まで楽しい時代が続いたと思います。

SME さんのコメント...

管理人様、こんばんは。
貴志川線の貴重な写真に感無量です!

私が好きな1枚は大池遊園のクハ803が先頭の混合編成の写真です。

管理人様がクハに向かってカメラを向けている所を、小さな女の子がホームの真ん中で見ている光景が写っている写真・・・着ている洋服も昭和の感じで、生活感漂う鉄道写真が味わい深いです。

katsu さんのコメント...

SMEさん
感想ありがとうございました。
大池遊園駅の混合列車と女の子がいる風景、すっかり忘れていました。
あの屋根のない島式ホームが大池遊園の駅であることすら忘れていました。
拡大してよ~く見ると「おおいけこうえん」の表示を確認できました。
混合列車、駅にいた女の子とお母さん、女学生など1枚の写真から様々なことが思い浮かびます。
あれから50年も過ぎたのですね。