案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年8月23日金曜日

都電 日本橋1967年

日比谷交差点を撮った数日前の日本橋はこんな風景でした。永代通りと中央通りが交わる日本橋交差点あたりで当時の車が判る写真を集めてみました。

日本橋や銀座では意外なスタイルの車を稀に見ることがあったが、オリンピック開催から3年目の東京は車も一新しとっくにクルマ社会が始まっていた。地方でも路面電車が走るような大都市はどこも車が道路に溢れていた。

永代通り日本橋交差点  1967.11.26
まだ意外な自動車も走っていた.

永代通り日本橋交差点.背後が東急百貨店(元白木屋)

永代通り日本橋交差点

 この翌月に消えた都電1系統. 中央通り日本橋

中央通り日本橋

車の氾濫で邪魔ものになってしまった都電. 中央通り日本橋

1967年第14回東京モーターショウ.前年に続き展示された初代サニー1000
1966年にスタートしたマイカー時代は1967年秋の東京モーターショウで更に身近なものに.
手の届かぬ存在のマイカーだったが、鉄仲間の一人はこの頃すでにサニー1000を購入していた.
マイカー時代の到来はあっという間のことであった。

8 件のコメント:

ゆうちゃん さんのコメント...

実家が高田馬場なので15系統の800形が懐かしいです。都電では珍しいウィングバネの台車を小学校の行き帰りに眺めていました。

katsu さんのコメント...

ゆうちゃんさん
中央通りと違って永代通りを走る15系統や38系統には興味深い電車が走っていたようですね。
800形の台車に惹き込まれましたか。
私が都電に乗っていた頃は1200形が好きでした。

Cedar さんのコメント...

登場する車両が800、1500、5500と曲者ぞろいなのがさすがです。
700,800、1000,1100,1200~都電の小形車はどれもいい味出していましたが、私は1100と700が好きでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
日本橋交差点は中央通りと永代通りで都電の格が違いますね。メイントストリートを走る1系統の5500に較べ、永代通り38系統の1500はいかにも下町雰囲気の魅力がありますね。1500を見たのはこの時だけだと思います。
都電の中に700なんてこんな素晴らしいのがいたのですか。クリーム一色時代になる前のツートンカラーが素晴らしい。

chitetsu さんのコメント...

サニー1000、懐かしいです。
父親が免許を取って初めて手に入れた車です。
最初のドライブは何とこれに乗って真夏の東名を窓開けて万博を見に行っています。
親も子供も元気だったのですね。
帰りに廃止間もない江若鉄道を見たのも記憶に残ってます。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
そうでしたかサニー1000に乗って家族で万博とは良き思い出になったことでしょう。
初代サニーは私も本当に懐かしく、
私の周りでも初代サニーを購入した人が多かったです。
しばらくしてから発売されたサニークーペは憧れの的でした。
クルマ時代到来で私の鉄ちゃんも中止に。

匿名 さんのコメント...

はじめまして
貴重なサニー1000のモーターショーの写真ですね。67年の頃でしょうか?68モデル(前期最終型)ですね。白黒ですが奥の4ドアは赤でしょうか?当方も20年以上これと同じ68モデルサニー1000を所有してます。幼少の頃、父がこれと同じサニー1000に乗っていて、社会人になって自分が同じ車を所有しております。車が好きになった原点の車です。

katsu さんのコメント...

匿名さん
はじめまして。
初代サニーを今でも所有されているとは、これは凄いですね。写真は1967年秋の東京モーターショーで撮ったものです。サニーは1966年に2ドアが発売され翌年に4ドアが発売されマイナーチェンジがあり1967年モーターショー展示車はm/c直後の4ドアですね。

私も車好きになった原点がサニーでした。この翌年に発売されたサニー2ドアクーペを伊豆の海水浴で見掛け、そのスタイルと車内に見えたマニュアルフロアシフトに釘付けになったものです。この初代サニークーペは今写真を見ても新鮮に感じます。カローラクーペに較べサニーは全く違う印象を持ったものです。その後新車が買えるようになり2代目サニーのGX-5という変則パターンの5速ミッション車には大いに楽しませてもらいました。