案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月13日水曜日

松本電鉄浅間線、早朝の温泉行き電車

夜行列車で夜明けの都市に到着すると、うす暗い駅前通りに路面電車が停まっている。
こんな早朝の駅前光景を1960年代には各地で見掛けた。

朝5時前に到着した松本駅は夜行でやってきた登山客で賑わい、登山客が向かう上高地方面とは反対の東側に開けた松本市街を浅間温泉行の電車が走っていた。
温泉行電車の撮影は、こんな登山客を除けば早朝でひと気のない松本駅前からスタートした。

陽が出てからの浅間線の紹介は「松本電気鉄道 浅間線」 にあります。

始発前の浅間線松本駅  1963.7.20
まだ薄暗い国鉄松本駅の片隅に、うす汚れた2両の木造電車が休んでいた.
ひと気のない駅と電車はまるで廃線後のようであった.

早朝のひと気のない松本駅前で登山客を満載したバスだけは賑わっていた.
やがて朝の1番電車が発車しガタゴトと松本駅前に出てきた.

早朝で車や人は少なく、静まりかえった松本の大通りを行く電車.

電車の脇を松本駅へ向かうボンネットバスが連なっている.

学校前の急カーブを曲がり未舗装の併用軌道を行く.

併用軌道から専用軌道区間へ入ると、家並みの間をくねくね曲がって走る.学校前-清水

16 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

 懐かしい写真ですね。最後の写真にはI氏と青蛙の撮影現場風景。二人とも木造電車にマッチしています。昼食代わりにかき氷を食べたりして…。古典的なまた開発前の松本駅周辺の風景はのどかですね。街中を進め電車の写真はその時代を活き活きと映し出しています。
懐古趣味ではありませんが一連の写真はまだゆとりがあったことを主張しているのかもしれません。高度成長の中で消えていった鉄道に愛着を持たせてくれる写真ですね。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
乗客や街行く人は撮っても我々の記念写真なんてフィルムがもったいなくてまず撮らない。
そんな私鉄めぐりで若きお二人が写った最後の写真は貴重ですね。
朝食、昼食を忘れて撮り歩き一服してかき氷を腹の足しに・・懐かしい思い出です。
この頃の街の風景は一変してしまったは今や全国どこでも当たり前で、
遠い昔を撮れた自分たちがいかに年を取ったかという事になりますね。

Cedar さんのコメント...

地方都市が活気に溢れていた、懐かしい時代の記録ですね。松本電鉄軌道線は私は間に合ってませんでした~
貴重なお写真拝見、ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
松本電鉄浅間線の写真もこれでお終いです。
浅間線の廃止がこの翌年昭和39年4月でけっこう早かったですね。
私は手が出なかった秋保電鉄や静鉄石松電車などの無念さを少しは癒してくれたのが浅間線でした。
秋保や石松電車ほどではないですが、こういう軌道線は他にない電車の面白さが満ち溢れていたと思います。

寅次郎 さんのコメント...

いやぁ~ 
未舗装道路の軌道! 知りませんでした。
レール上にじゃりが、いっぱい載っかって脱線しないんでしょうか?

katsu さんのコメント...

寅次郎さん
この時代はこれ以外にもジャリ軌道はありました。
多少の砂利ならレール上に乗っても踏みつぶしてしまうのでしょう。
もし砂利が溜まって運転手が危険を感じたら
停車してホウキで掃くのではないでしょうか。

太田 さんのコメント...

突然ですが、教えて下さい
私は昭和22年生まれで、篠ノ井線で明科で生まれ、物心付いたときは千葉に引越て居ました、私が小学校に入学前に父と二人で松本駅より乗車した記憶があるのですが、車体の前にネットのような物が付いていたのを覚えています、今 その記憶を頼りにNゲージで作って居ますが、分からない所があるのですが、教えて下さい
車体の色は何色ですが、是非 お願いします

katsu さんのコメント...

太田さん
浅間線を見たのは廃線間近で大変にくたびれた木造車で、色あせたカラーリングがどんなであったかはメモにも記憶にもありませんでした。余りにくたびれてくすんだ状態は「色あい」をメモに表現するのも難しかったと思います。

ネットで調べてみるとアメリカの人が撮った有名なカラー写真集「昭和30年代鉄道原風景」の画像と思われるものがありました。
昭和31年撮影とありますから、元々はこういう派手なカラーリングだったのかも知れません。
http://blogs.yahoo.co.jp/momonakai/23304111.html

太田 さんのコメント...

Katsuさん ありがとうございました
そうですね、私も最初に見たときは子供心に
は綺麗とは感じませんでした。
ただ車体の前にネットが着いていたのが気になっていました、私が5歳ぐらいかな
色ですが、親戚の人か通学に乗っていたので聴きましたら、下が紺色で上がクリーム色と教えてくれましたが、原色だとイメージが違うと、言いましたら 今度写真を撮っておくからの事でした、私も実車有るのと聞きましたら松本のバスターミナルで見たそうです
路面電車と同じ色をカラーリングしたバスが運行しているそうなんです、台数は1台で稀に見かける様でした。
今回はご迷惑お掛けして、すみません

katsu さんのコメント...

太田さん
このバスのことですね。
上回りの緑がかった微妙なカラーがなんとなく浅間線を思い出させてくれるような気がします。
このバスに載って松本市街を見てみたいものです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~bus-no-album/30624775/index.html

Unknown さんのコメント...

残念ながら、路面電車🚊は
無くなりましたが、
松本にも路面電車🚊があった🤭事実は
消えません。

katsu さんのコメント...

匿名さん
言い尽くされた言葉ですが、もし今も浅間線が走っていたらと言いたくなってしまいます。
松本市内には今も?浅間線風のバスが走っていたりして
路面電車浅間線はきっと市民に愛されていたのでしょう。

風旅記 さんのコメント...

こんばんは。
松本にも路面電車があったのですね、こちらの記事で初めて知りました。
駅前にはその痕跡もないものと思いますが、今も復刻塗装の路線バスに懐かしさを感じる方もいらっしゃるのかと思います。
「たられば」は意味がないかもしれませんが、松本に限らず今に残すことができたならば、新たに町の軸として活躍したかもしれないと思ったりもします。
モータリゼーション一辺倒の時代が長く続き、近年になりやっと、路面電車の価値が再定義されてきたこと、嬉しく思う反面、それまでに失われた多くに虚しさも感じます。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

katsu さんのコメント...

風旅記さん
こんにちは。
松本はあまりにも変りましたね。
と言っても今や日本全国いたるところがそうであり松本に限ったことではありませんが。

10年くらい前に松本駅から松本城へ向った時、そこはかって浅間線が走っていたところ。
それに気付つくまで随分長い時間が掛かりました。
松本駅から大通りが延びる東口とは反対の西口に浅間線が走っていたと勘違するほど
イメージを狂わせる松本駅前風景でした。

復刻塗装の路線バスが走っているのが慰めですね。
浅間線のあの時代のカラーリングは何とも言えない微妙な色合いです。

Unknown さんのコメント...

昭和38年、高校卒業して就職するまで松本に住んでいた者です。

ときどき、松本駅前、浅間温泉行の電車の駅、浅間温泉の駅のなどなど夢に見たものです。

学校前の90度に曲がる線路を電車が音を立てて曲がる記憶がよみがえります。

子供ころは浅間温泉に父親の会社の保養所があってよく行きました。
それにと温泉プールがあって兄たちと遊びに行ったものです。

NHKの日本廃線のテレビを観ていてもしや浅間温泉行の電車のことがないかとこちらのブログにたどり着きました。
貴重な写真を拝見して当時の懐かしい想い出がよみがえりました。
ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
私が訪問したのは昭和38年で、あの時に高校卒業でしたか。
浅間線は通勤時間が終わると今度は木造電車に高校生達が溢れんばかりでした。
何年も経ってよく考えると団塊世代が高校生だったんですね。

各地で乗客として溢れるばかりの高校生達をよく見掛けました。
ほんの僅かな期間だけ地方私鉄に高校生達の通学による活気ある日本がありました。
あのような活気ある光景はあの時代だけでした。