案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月17日日曜日

頸城鉄道 夏の浦川原駅1962年

頸城鉄道が新黒井から浦川原まで繋がっていた元気な時代の軽便鉄道。
部分廃線する前でまだ貨物輸送があった夏の浦川原駅を1962(昭37)年と1968(昭43)年に分けて取上げてみます。この頃は自動車時代到来で真っ先に消えた軽便貨物輸送の最後の活躍数年間だったのでしょう。

新黒井で国鉄と接続していた時代は米どころ新潟の軽便貨物輸送も活発でホジの乗客も多かった。しかし1968(昭43)年秋の新黒井~百間町間と飯室~浦川原間の部分廃線により、貨物輸送が廃止となり陸の孤島となった頸城鉄道は一気に終焉ムードとなってしまった。


夏の浦川原駅の全景 1962.08.03

線路の脇には床屋や中華ソバ食堂があった.

ホームでは混合列車が発車を待っている.薪を満載した無蓋車が愉快だ.

この日はホジ3が牽く列車と、DC92が牽く列車が活躍していた.

貨物引込線のホーム上ではトラックからちっぽけな貨車へ米俵が積込まれ、新黒井まで輸送して国鉄貨車へ積換えしていた。急速な自動車の普及により、非効率な軽便貨物輸送はあっという間にトラック輸送へ切替わって行った時代で、頸城鉄道も部分廃線により貨物輸送がなくなり、その後1971年5月に全線廃線となった。

駅の一番奥にはホハ4(元2・3等合造車ホロハ2)が休む.
背後に写った民家や床屋が興味深い.

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