案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月13日月曜日

栃尾線 加津保駅

前々回にアップしました加津保駅は隣の椿沢駅だったようです。
申し訳ありません訂正させていただき、椿沢の一つ手前の加津保駅をアップします。


加津保駅  1964.3.22   画像クリックで拡大

駅の西側にはどこまでも続く田圃が、東側には越後の低い山並みが続く.
荒涼とした雰囲気の中にある駅であったが駅員が配置されていた.

加津保駅の側線に留置されていたアメリカンスタイルの客車3両.
前年6月に小坂鉄道から6両を譲り受け入線した.


加津保駅の向こうに連なる越後の山並み.


加津保を発車すると列車は右へカーブし上見附へ向かう.

4 件のコメント:

toshi さんのコメント...

katsuさん、早速のアップロードありがとう御座いました。

思っていたより立派な駅だったんですね。実は私が5~6才の頃、脳裏に駅らしいホームと線路とその向こうに青々と茂る稲の田圃のような風景がぽっかり浮かんだりしました。

聞けば1~2才の頃に母親と加津保の実家で暫く暮らしたのだそうです。当時暮らしていた所にはその様な風景は無いのでそのとき見た加津保の風景なのかと思った物です。今回の写真でその思いを強くしました。

いつも思うのですがkatsuさんの絵は単なる鉄道の記録ではなく、その当時の人々の生き様とか時代の様子が切り取られていて素晴らしいと思います。霞ヶ浦の湖畔にたたずむ少女とか花巻の砂利道を杖をついて頼りなげに歩く老婆とか心に染みいります。

つい長くなってしまいましたがこれからも宜しくお願いいたします。

katsu さんのコメント...

toshiさん
脳裏に残る遠い昔の駅らしい風景は加津保駅かも知れませんね。
寒くて暗い日に訪ねたこの駅のことを思い出し、私もなんとなく加津保駅が幻想的に思えてきました。加津保という駅名もいいですね。
過分にお褒めいただき恐縮です。
私はその時代の様子が分かるような写真が鉄道写真の面白さと思っていますが、当時はその意識が希薄で何故もっと撮らなかったのかいつも悔やんでいます。

今後も思い出につながるような写真をなるべく載せたいと思っていますので、宜しくお願いいたします。

toshi さんのコメント...

katsuさん

少し付け加えさせてください。駿遠線のページの平成11年10月26日の写真で新岡崎の駅が有りますが、それが伯母が住んでいた家のすぐ近くなんです。

一度だけ訪れた事が有りますが、すでに廃止された後だったので何もなかった筈です。でアップされた日が私の誕生日!
何か因縁めいてきました。(笑)

katsu さんのコメント...

toshiさん
駿遠線は新岡崎でしたか。
この一帯は茶畑が拡がるのどかな土地だった印象があります。軽便は思い出につながる話題が多く、こういうお話を聞くと嬉しくなります。