案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月8日水曜日

玉電 瀬田の交差点

昨日アップした瀬田の交差点は昭和44年に撮った風景で、その4年前 昭和40年の瀬田の交差点はこんな風景であった。交差点や建物の風景はたった4年間で大きく変貌したようだ。
昭和39年の東京オリンピック開催に向けて駒沢まで国道246が拡張整備され、昭和40年はその先の駒沢~瀬田間の246の新道はまだ工事中であり、瀬田の交差点に昔の風景が残っていたのであろう。


昭和40年の瀬田の交差点と電停 1965.7.27  画像クリックで拡大 
まだ国道246の新ルートが開通前のようで、交差点に歩道橋もなく駅やその周辺は広々としていた.
↓車が少なく電停周辺の道路上には人々が往来し、朝夕は道路に人が溢れたことだろう.
花巻電鉄軌道線や福島交通軌道線でよく見られた光景だ。

瀬田の交差点から併用軌道が坂へ向かう.

併用軌道から専用軌道に入ると坂を下る.

5 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

いやはや、瀬田はついさっきも通ってきましたが、この当時の面影はほぼありませんね。こういう画像を見るとその時代に間におっただけでラッキー!と思ってしまいます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん、大山街道で瀬田の交差点が最も激変したのではないでしょうか。
昔を知っている当時の子供達は今や還暦ですね。年はとりたくないものです。

Cedar さんのコメント...

Katsu様
>当時の子供達は今や還暦ですね。

あはは~、それはまさに私です!この頃の記憶はありますが、カメラは持っていなかったので頭の中にあっただけです。

BJ さんのコメント...

はじままして! 良い写真をお持ちですね、自分はS36年に池尻で生まれ育ちましたので大変懐かしいです、ぜひシェアさせてください。

katsu さんのコメント...

BJさん
はじめまして。
お生まれが池尻でしたか。
池尻は大橋車庫が近いですね。
S37年に大橋車庫の車両を撮りに行ったので
ちょうどその頃に生まれたばかりということに。
大橋車庫のこともいつかアップしたいと思っています。