案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月17日金曜日

筑豊電鉄 閉山後の筑豊を走る

筑豊電鉄は1976年に初めて西鉄から連接車を譲り受けたというから、この頃はまだ自社の車両は保有してなく、西鉄北九州線からの乗り入車や借入車でまかなっていたらしい。

筑豊電鉄は西鉄北九州線から貞元で分岐し筑豊電鉄の専用軌道に入る。
西鉄北九州線の車両は、路面電車としては高速仕様ぎみであり、郊外を飛ばす筑豊電鉄にとってはピッタリの電車。市内を走るのとは違い筑豊電鉄の区間ではかなり高速で頻繁にやって来た。

都市間輸送の西鉄北九州線が全面廃止されたのに対し、ベットタウンと都市を結ぶインターアーバン路線 筑豊電鉄は今も元気に走り続けている。


西鉄北九州線の黒崎車庫前 1967.2.27 


西鉄北九州線を走る筑豊直方行. 左に鹿児島本線と北九州工業地帯が


 貞元(今の熊西) ここで筑豊電鉄が分かれ筑豊直方へ向かう.


貞元の分岐点. 左が西鉄北九州線の折尾行.右が筑豊電鉄の軌道. 画面クリックで拡大


筑豊電鉄の専用軌道を走る上り電車.戸畑行乗入れが多かった.


沿線のベットタウンへの変貌は、まだまだこれからなのだろう. 貞元-萩原


郊外の人口が増えたせいか日中の乗客も多い. 萩原 1967.2.27

北九州が製鉄業を中心とした重化学工業が成長するにつれて沿線のベッドタウン化が進み、
筑豊電鉄の利用客の増加は1970年代にピークを迎える。


参考: 週間朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 公営・私鉄No.23より

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

私が筑鉄を初めて訪ねたのは、このお写真の3年後でした、沿線の雰囲気はほぼ今羽感じでしたが連接車の運用が増えていたのは乗客増のせいでしょうか。
長大な遠賀川鉄橋と高架の筑豊直方駅にはびっくりしました。

katsu さんのコメント...

Cedarさんが大好きな筑豊電鉄。
私の訪問時はまだ連接車の乗入れは少なかったような気がします。西鉄北九州線では既に2連接車が64編成も投入済みで、これらの筑豊乗入れが多くなったのでしょう。この数年は沿線人口の増大が急激だったと思います。
私は終点まで行かず筑豊電鉄の名所を見ずに引き返し、残念なことをしました。

FJI さんのコメント...

はじめまして。
貴重なお写真を拝見させていただきました。
ありがとうございます。

katsu さんのコメント...

FJIさん、はじめまして。
コメントありがとうございました。
筑豊電鉄の昔を偲んで戴けたら嬉しいです。
今後ともよろしくお願い致します。