案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年8月30日火曜日

貴志川線 真夏の電車2


東和歌山駅の朝 (モハ206+サハ1827+モハ205)  1965.8.4
東和歌山の朝は電車総動員で、次々と驚きの電車登場で楽しいひと時となる.
ラッシュが終わると朝の編成はバラバラに切り離される.

朝の通勤列車  東和歌山 (モハ201+クハ803+モハ202)
ドアを開け放した夏の通勤電車は満員で東和歌山に到着する.
元ガソリンカーだった電車の3両編成はとびきり魅力的であった.


朝の通勤時間帯にはこんな電車もやって来た.  モハ603+クハ802

モハ205+サハ1827+モハ206  伊太祈曽  ポップアップ
遠くの家並みと右隅の廃車体が気になる.

伊太祈曽の交換風景

朝の3両編成から切離された昭和6年製生え抜き車は単行で動いていた.モハ202

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

前回の記事とあわせて、貴志川線の画像にうちのめされております。荷台つきのTcや、小形M車と南海本線スタイルTの編成など~凄いです。感激です。

~こんなところで追伸!コクリコ坂、観ましたよ。良かったです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
これから各車両の紹介をする予定です。どれも小さな電車ばかりで、南海の本線から来た1827がえらく大きく見えたものです。
この後は南海一色になったのかも知れませんが、貴志川線はこの小型車の頃がぎりぎり楽しめた時代であったと思われます。
どこの地方私鉄でも非効率の無駄がどんど排除され合理化されていく時代でした。