1963(昭和38)年の横浜を舞台としたスタジオジブリの映画「コクリコ坂から」を観てきました。
昭和38年の時代描写が実に巧みで、あの何とも言えない風景に懐かしさが込み上げてきました。
映画が終わって外に出た瞬間、現実の風景とのギャップに複雑な気持ちになったものです。
何かが失われようとしている時代から48年が経った。
↓ 企画・脚本 宮崎駿さんのメッセージの一部。 「コクリコ坂から」公式サイトより
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「コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。
団塊の世代が現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。
首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。
1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。
貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。
とはいえ、映画は時代を描くのではない。
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「コクリコ坂から」 1963年5月、横浜。
ちょうどこの1963年に横浜市電を撮ってあった。
撮った日は5月3日の祭日で横浜は五月晴れ、市電には日の丸の旗が立てられていた。
東京オリンピック前年だが道路工事中の混乱は写ってなく休日のせいか道路も空いていたようだ。
頻繁にやって来たのが単車500形でダブルルーフの400形も走っていた。
既にツートンカラーは消えてクリーム色に青帯の車体であった。
もしあの時に当たり前の風景の貴重さに気付いていれば、全く違う視点で街と市電を撮っていたのに・・・・。
トンネルの向こう側は元町
高島町交差点
紅葉坂
8 件のコメント:
<コクリコ坂から>ってそういう映画だったのですね!是非観なくては~
横浜は麦田車庫の裏に親戚が住んでいて、桜木町から市電で行きました~懐かしいなあ!
映画好きのCedarさん、
とっくに観ていると思っていました(笑)
つい最近まで私も若いカップル向けラブストーリと思っていました。この映画は若い人達だけでなく、50才代半ば以上にとっても堪らないでしょう。
懐かしい場面からは懐古だけではなく、人それぞれが感じる失われた「何か」がありそうです。
私のブログにも、お写真の1年後、オリンピックの年の横浜市電の画像があります。
お時間あるときにご覧ください
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-07-31-2
本牧トンネルの左側の家は、戦後すぐ母の実家が一時暮らしていました。同じタイミングで撮った写真を母に当時見せたらそう言って懐かしんでいたことを思い出しました。そう私も麦田町の生まれで沼津に疎開、終戦後一時この近くにいたそうですが記憶ありません。思いで深い写真です。
Cedarさん
オリンピックの年の横浜市電を拝見しました。
父上の撮った素晴らしい財産(街が写った写真)をCedarさんが引き継いでいるのが羨ましいですね。
私は麦田町の車庫へは行かず、滝頭の車庫でいろんなものを撮りました。がしかし写っているのは電車ばかり、今はオート三輪が写った写真が欲しいのです(笑)
青蛙さん
生まれたのが麦田町ですか! それは知りませんでした。青蛙さんがこのトンネルで同じように撮った写真は記念になりますね。
「親子の絆 麦田の坂」1963年5月、横浜。ですか。
昭和36年、買ってもらったばかりのフジペット(!)で撮った駄作もブログの記事にしております。
http://cedarben.blog.so-net.ne.jp/2010-12-23
しつこくってスミマセン。
明日は<コクリコ坂~>観にいこうかなと思いますが爺一人で行くのはいかがなものかと?
Cedarさん、その心配は私も同じでした。
私は吉祥寺で観ましたがシニアが意外に多く、夏休みで子供も多かったですがこの映画子供向けではないと思いますよ。
フジペットで撮られたトンネルの先に開ける麦田の下町風景がいいですね、ダブルルーフ単車がよく似合います。
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