案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年8月21日土曜日

野上電鉄 日方駅

紀伊本線海南駅から離れたところに、野上電鉄の起点日方駅があった。国鉄海南駅との乗換えには別に接続口駅のホームがあった。
駅前を歩いている二人はこの電車の運転手と若い車掌であろう。駅前雑貨店に掲げた野上電鉄の看板の絵は一体何を意味しているのか?  背後には海南駅の国鉄蒸機の煙がたなびく。
夏の陽がかたむく頃、日方駅の光景はこの時代独特のものを感じさせてくれる。


4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私がこの野上電鉄を訪れたのは1977年8月ですが、
このときはすでにこのような光景は失われていました。
10年経つと環境、風俗は大きく変わってきますね。
阪神から来た電車は大きく変わりませんが、
その時代を切取る写真に魅力を感じます。青蛙

katsu さんのコメント...

青蛙さん
そうでしたか、77年の訪問時はこの光景も無くなってしまいましか。きっと60年代の光景は急激に変化してしまったのでしょう。
野上の電車はこの後、魅力的なツートンカラーになりましね。もう一度の訪問が果たせず悔しい想いです。

匿名 さんのコメント...

駅横の商店の看板について。
終点から奥にある生石高原のイメージではないでしょうか。
登山口はかつて生石口と言いましたし、観光のアピールでしょう。
生石高原は知名度は高くありませんが、なかなか爽やかな高原です。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
この駅前風景の写真は私の最も好きな場面です。
とても面白く不思議な観光案内?看板ですね。
野上電鉄以外の表示以外は何も文字がありません。
絵でイメージできるのが生石高原というところですか。
この時代独特のこういうユニークな看板は他にもあったような気がします。