案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年6月9日水曜日

朝の東和歌山駅前

南海電鉄和歌山軌道線。1971年に全廃。
国鉄紀勢本線の東和歌山駅前から、海南駅前、市駅、新和歌浦方面へと和歌山軌道線が走っていた。この一帯には南海貴志川線、軌道線、野上電鉄など小私鉄が多く、東和歌山駅前に泊まるのが便利であった。
次々と色々な電車がやって来る楽しい朝のひととき。
和歌山電軌には魅力ある路面電車が溢れていた。

東和歌山駅前 1964.07.10



朝の東和歌山駅前は、各方面に向かう電車の乗客で賑わっていた。
やってきた背高で最古参500形の姿が魅力的である。


4 件のコメント:

t7marimo さんのコメント...

この時代私は、鉄道車両が少しでも人や自動車と重なると、シャッターを押しませんでした。
しかし今考えると、もったいないことをしていたものです。
katsuさんは当時から、車、建物や人などの情景が、年を重ねるごとに変化していくことを念頭において撮影されていたのですね。
写っているボンネットバスは「いすゞBX141」で、ノーズが特に短く、同類のバスの中でも一番好きなタイプでした。

katsu さんのコメント...

人を配置するのは心がけていましたが、人や車や建物が変化しいてくのは考えていませんでした。
撮っている時は当たり前過ぎて何も感じませんでしたが、今になると本当に悔しいですね。
ボンネットバスの一部だけで、よくタイプが分かりますね。ボンネットバスは今見ると楽しくなります。

ローン・レンジャー さんのコメント...

よくぞこんな懐かし映像を残してくださいました。私は、昭和29年から32年まで市内の京橋のすぐ近くに住んでいました。当時から市駅近辺は賑わっていましたが今思えば本当に戦後を色濃く残していました。昭和32年5月に父の転勤で東京に移りましたがその頃は、お城から東和歌山駅までの道は未舗装で、小型トラックのように頑丈なダットサン1000タクシーで行ったように記憶しています。海南、和歌浦、紀三井寺本当にどこものどかでした。貴重なものをありがとうございました。

katsu さんのコメント...

ローン・レンジャーさん
コメントありがとうございます。
昭和32年といえば写真の7年前ですが戦後風景はそれほど変わっていなかったと思われます。
大きく変化あるのはクルマと服装で、もし昭和32年の写真があれば強烈なインパクトが感じられるでしょう。
あの時代の写真を見て楽しめるのは今の時代が豊潤であるせいなんでしょう。