案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年8月9日日曜日

本日の東京ビックサイト 鉄道模型コンテスト2015

第七回全国高等学校鉄道模型コンテストで高校生モジュール部門を主体に見てきました。
モジュールでテーマがしっりしている作品は見ごたえがあります。

国際展示場駅前の夏の空  2015.08.09
8月7日まで続いた8日連続の猛暑日も一息ついた東京。

アジアン風の街並みに一瞬とても日本の風景には見えなかった、が目線を下げてよ~く見ればいつも通るあの金券ショップ通りではないか !   これまで全く無関心だったこの金券ショップ通り、このジオラマのおかげで私は新宿ガート下界隈の題材に気づかされた。この通りを歩く人間模様がいろいろ、撮るのが難関だけど撮っておかねば。

「西新宿」 新宿大ガード~西口の金券ショツプ通りとその裏の思い出横丁、地下の大江戸線西新宿駅を作り込んだジオラマ、よくぞこんなオヤジ趣味の題材に高校生が着目したものである。最も印象に残った千葉県立千葉高等学校鉄道研究部の作品。
私が選んだグランプリはこの「西新宿」金券通りでした。

「通天閣と新世界の街並み」(新今宮)

「竹林日和」  山陰線 嵯峨嵐山~保津峡間の竹林

富山地方鉄道 寺田駅

鯉のぼりのある風景? タイトルが分かりません。
こちら共立女子高等学校の作品がモジュール部門のグランプリに。

2015年8月6日木曜日

静岡鉄道:静岡清水線 車両工場

数々の改修や新造をやっていた静岡鉄道鉄道線の車両工場。
駿遠線の物置小屋で生まれた車両達は、この工場の技術がベースにあってDB機関車や2枚窓キハ等あれだけの新造車が生まれたのでしょう。気になる鉄道線の長沼工場の風景を集めてみました。

撮影:田辺多知夫氏  1967..01.07




こんな電車を1/80 13mmで作ってみたい.

駿遠線の新造キハに似た顔つきのモハ21+クハ21、長沼工場の傑作はこの電車でしょう。




長沼工場の全景 1966.04.30   撮影:青蛙氏

2015年7月29日水曜日

駿遠線 謎のDB機関車605

私は「蒙古の戦車」の中でDB605の姿は見たことがないのですが、昔の鉄道ファン誌に紹介されたバック運転のDB605の写真を知り、中村修 著 「駿遠線物語」の中あったDB605の写真を改めて見てみました。前後ともに山型ボンネットの特徴あるスタイルです。

驚くことに、このDB605イノシシ機関車はなんと豚と衝突して川に転落したそうで、この時の写真を見るとひっくり返ったDBは前後が山型ボンネットでDB605であることが判ります?  その後、このDBの部品は他機に使い回しされたそうで相良で見たDB606はこのDB605と外観上の共通点がいろいろあります。(豚衝突転落事件とその後の部品使い回しの関係は不明)

ところが、DB606はそれとは別に藤枝に変わったDB606がいました。これは赤穂鉄道から来た元CタンクのDB化で駿遠線DB機関車の中で唯一自社工場ではない機関車だったようです。

豚と衝突したあと部品が使い回しされたDB605、そして2タイプいたDB606、これらの関係はよく判っていないようです。


中村修 著 「駿遠線物語」袋井工場物語の表紙にあったDB605の写真.

単端式なのにバックギヤ運転で大手線を走ったことがある機関車、豚と衝突して川に転落した機関車など逸話溢れるDB605。その存在はある時点で消えてしまったのでしょうか。

1966年9月 相良で見た最後の姿DB606.  前
前側ボンネット形状を除きDB605とDB606には共通点がいろいろ見つけられる.


1964年3月 藤枝で見たDB606.
相良にいたDB606とはキャブの形状、動輪形状、タンク位置など外観が明らかに異なる.

どの凸型機関車も一体どちらが前なのか?よく判らなず、特にこの機関車は判りにくい。
運転手の出入り口、計器の位置などからすると、こちらが前なのでしょう。
どの凸型機関車も前面と後面で機関車の表情がかなり異なり、写真を付け合わすときに厄介である。

2015年7月27日月曜日

北陸鉄道能登線 羽咋

北陸鉄道能登線の羽咋(はくい)を初めて訪問したのは1962年の真夏であった。
それから10年後の1972年3月に先日の雪の羽咋を撮った田辺氏と青蛙氏が訪問していた。
よく考えてみれば私が国鉄能登線のC11「おくのと号」を撮って能登金剛へ行ったのも同じ年1972年の9月であり、北鉄能登線の廃線(1972年6月)直後の三明と羽咋をクルマで素通りしていた。
その頃は羽咋といえば観光「なぎさドライブウェイ」で北鉄能登線がまさかそんな時代まで走り続けていたとは全く知らなかった。

地方私鉄ムードあふれる北陸鉄道能登線羽咋駅の佇まい. 1962.08.02
キハ5162、キハ5001、キハ5151が見える

羽咋構内にあった車両小屋.構内で休む車両は個性派ばかりであった.

こんな単車コハフ1501に乗って夏の日本海海岸線へ向かった.

小屋から出てきた小さな気動車キハ5001が給油し発車の準備をしていた.

羽咋を出発した列車は海水浴客で超満員、国鉄七尾線と並走する.  1962.08.02
キハ5162+コハフ1501

鉄橋を渡り左にカーブして七尾線をオーバクロスして日本海へ出る.


そして10年後、日本は"Discover Japan"の時代
以下の3点は、先日の田辺氏撮影の雪の羽咋駅.1972.03.04
"Discover Japan" 羽咋を発車する国鉄七尾線のふるさとSL列車C58「おくのと号」

輪島へ向かう七尾線C58「おくのと号」そして右に北鉄能登線の線路.

1972年6月に廃線となった最後の年の北鉄能登線 羽咋構内
元遠鉄二俣線キハ803であったキハ5213. 赤い気動車3両の1両.

2015年7月22日水曜日

駿遠線 袋井工場で見たDB機関車

駿遠線の蒙古の戦車は背がラウンドした蛙のようなDBが良く知られている。それ以外の無骨で産業用機関車のような細身ボンネットをキャブ前後に配したタイプは、僅か数年で外観が変身したものもありその変遷は大変ややこしい。難解なDB605、606は後にして袋井工場で初めて見たDB機関車を数年後の写真と付け合わせてみました。


初めて見たDB機関車は厳めしいこれぞ「蒙古の戦車」  この時番号を見落とした.
 袋井工場 1963.04.04

ドアにはDBの番号が表示されていない.
背後に数々の自社工場製車両を生み出した袋井工場の野武士たち.

前進側の細身のボンネット・ラジエータ

1963(昭38)年の袋井工場


相良で見たDB601.  1966.09.23
袋井で見たDB(1枚目写真)はその後ボンネット形状(前側)が全く変わってしまったDB601であった.

左からDB602 DB601 DB606  相良  1966.09.23
堂々としたDB606に比べるとDB601は意外に小ぶりであった.
このDB606がくせもの

2015年7月20日月曜日

ある日の水浜電車 昭和41年

素晴らしき水浜電車、昭和41年ある日の名場面を田辺氏のアルバムから。

撮影: 田辺多知夫氏 1966年5月

何も説明がいらない感動の一場面. 大串

田んぼを行く路面電車.六反田付近

 涸沼川橋梁を渡る. 平戸-磯浜

海辺に近い曲松停車場

場所不明

大洗磯前神社鳥居の脇で線路が終わる. 大洗

2015年7月18日土曜日

東武日光軌道線 ED602の今

元国鉄ED4010に復元された東武日光軌道線ED602の今を大宮鉄道博物館で改めて眺め、ノーマル電機E611の貨物列車が走っていた風景をこのバケモノ電機ED602に置き換えて当時の日光街中の光景を想像してみました。

元国鉄アプト式に復元され展示中のED4010. 大宮鉄道博物館 2015年7月

日光軌道線の降坂では運転室のない第1端側を前面にして降りてきた. 

銘板下の小さなステップに案内人が乗った.
日光軌道線では登坂時に運転室がある第2端を前に推進押上げ、降坂時に運転室のない第1端側を前に牽引という運行であった。

廃線間近の頃、ED611が牽く貨物列車が日光駅へ下る風景. 1967.12.21 撮影:田辺氏

屋内展示のせいでよけい巨大に見えるこんなバケモノ電機ED602が観光都市日光のど真ん中こんな風景を昭和30年頃まで走っていたことになる。もしこれが今走ったら大変な生きた文化遺産、観光資源になることでしょう。

日光軌道線では運転室がある第2端を前にして推進押上げていた.

外されていたラック台車が元のかたちに戻された美しい下回り.

昭和30年頃まで活躍したED602.ロッド駆動のサイドビューが魅力的. 清滝電車区 撮影:青蛙氏

参考: RM LIBRARY 第148巻 国鉄アプト式電気機関車 小林正義 著 ネコ・パブリッシング発行