案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年4月10日日曜日

外川駅の先にあった海水浴場

1963年夏の銚子電鉄、海辺の終着駅外川に下りるとこんな名所案内が掲示されていた。
長崎海水浴場は今もあるが犬若海水浴場とは一体どこにあったのか?

撮影は全てオリンパスペンSです。1963.6.30


名所案内にあった長崎海水浴場と犬若海水浴場。


満員で外川に到着する列車。


外川駅に下車した子供たちの歓声。

外川駅



この犬若岬あたりに昭和40年代まで犬若海水浴場があったようだ。


現在は埋め立てにより海水浴場はなくなっている。

2022年4月8日金曜日

西武狭山線のN101系

久しぶりに40mmレンズで撮った西武鉄道。
撮り鉄散歩は重くてデカい望遠ズームレンズは使いたくない、
軽い単焦点広角レンズを装着して鉄道撮るには
画角でやはり40mmあたりがよさそう。
 
西所沢 2022.4.6

2022年3月31日木曜日

花と電車


 西武新宿線。 東伏見-武蔵関
コロナで長いこと眠っていたフルサイズカメラで撮ってみました。



小金井公園。
iPhone12

2022年3月30日水曜日

宮澤賢治と西公園停車場

花巻電鉄軌道線 1915(大正4)年9月 西公園~松原間の運転開始
その後、1925年過ぎに西鉛温泉まで開業。

宮澤賢治のこと
1896(明治29)~1933(昭和8)年
1914年(18才)盛岡高等農学校入学
1917年(21才) 肋膜炎を患う。童話を書き始める。
   農業の改良研究、法華経、科学と宗教に目覚める。
1919年(23才)に卒業し24才に家出をして東京へ出たが妹が亡くなり花巻へ帰る。

1921~1926年(25才~29才) 花巻農学校教職を4年間やって辞める。
  銀河鉄道の夜を書く初稿1924年/出版1934年。
  農民となり童話や詩を書く。
  羅須地人協会を設立。
    農業の改良、肥料の研究などの活動を社会主義と勘違いされる。
  病床につき死を考える。

1932年 35才東京で倒れて遺書を書き実家で2年療養。
1933年9月 37才で亡くなる。


宮澤賢治が花巻市街の自宅から花巻農学校へ教職で通っていた時代は、軌道線(西公園~松原間)の始発駅西公園から軽鉄花巻駅までが開業した数年後で、更に西花巻駅が開業し西花巻~花巻温泉間の鉄道線が開業した頃であった。
(軽鉄花巻駅:岩手軽便鉄道と花巻電鉄が共存した始発駅)

元西公園のところにある碑に記された宮沢賢治「ラジウムの雁」の中に”春の夕暮れに停車場の灯が明滅する”の記載があり、西公園の眼下に見えた西公園停車場のことか?
(ラジウムの雁:1919、1920年頃の春の夕暮れの実話を基に執筆した童話)



西公園停車場 1964.8.2




2022年2月20日日曜日

長崎電軌 大浦川沿いの電車通り

本日発売のTMS3月号 連載第33回は長崎電軌 大浦支線です。
1967(昭和42)年にまだ残っていた長崎の古い街並みを取上げ「大浦川沿いの電車通り」をテーマとしました。 撮影:1967.03.02






大浦川沿いの電車通り 弁天橋。


古い街並みの電車通り 下大浦橋。


石橋電停から見た電車通り。

2022年1月19日水曜日

磐梯山麓のドロ軌道。沼尻鉄道

1月20日発売のTMS2月号。
TMS創刊75年記念の連載「私とTMS」第5回は河田耕一大先輩で、73年間1,000冊近いTMSを読み続けてきた想いが6ページに亘り紹介されました。

さて、地方私鉄 失われた情景 第32回は「磐梯山麓のドロ軌道」日本硫黄沼尻鉄道です。
  川桁を発車した列車は白津の集落を抜けると北上を続けるが、内野の先で北西に進路を変えると磐梯山に向かって走る区間がある。それがこの路線図でこの区間は路側軌道でもあった。
撮影:1964.1.3




2021年12月22日水曜日

京福電鉄鞍馬線 厳寒の岩倉盆地

12月20日発売のTMS1月号 連載第31回は「厳寒の岩倉盆地」京福電気鉄道鞍馬線です。
叡山線・鞍馬線にまだ美しいポール電車が走っていた時代です。
撮影:1969.1.2




TMS新年号の京福電気鉄道鞍馬線。

2021年12月16日木曜日

地下化直前の京王線

ビネガーシンドロームで廃棄処分と思っていたネガか出てきました。
改めてスキャンしてみた本ブログで紹介済みの写真です。


昭和5年東京日日新聞付録。東京市外地図。

撮影:1963.3.31

新宿駅南口の甲州街道。
1963.4.1に京王新宿地下駅が開業した。


甲州街道の中央部を行く京王線。


甲州街道から離れて専用軌道へ入るところの踏切。

文化服装学院の円形校舎の前から玉川上水沿いを行く京王線。


参考:甲州街道上の軌道から地下線に切替え後で、文化服装円筒校舎前から初台・幡ヶ谷にかけて地下化工事中の時代。この時代の甲州街道の逆S字カーブがよく分かる。
ネット写真を消去しました。

2021年12月2日木曜日

オリンパスペンSで撮った小型蒸機

竜ヶ崎線 小型蒸機のロッドの輝き2題。


4号機の機能美 1963.08.17

「龍ヶ崎機関区」の4号機(大正14年川崎造船所製) 1963.08.17

60年前に撮った竜ヶ崎線の写真からアララギさんの手で龍ヶ崎機関区が見事に1/48で再現されていました。コンクリート製の給水タンクと詰所、実物が正に模型的な小さな機関区でした。


5号機の機能美 1963.08.17



美しく黒光りした5号機(本画像のみ35mm判で撮影) 大正10年日本車両製  竜ヶ崎


2021年11月30日火曜日

大木 茂さんの写真展(2)

大木茂さんの写真展(最終日)へ再び行ってきました。
「ぶらりユーラシア」~列車を乗り継ぎ大陸横断、72歳ひとり旅~

紀行文と写真を綴った絵巻物はよくある写真家の異国の旅の写真展とは違って、私の先入観かもしれないがやはり蒸機写真集『汽罐車』を原点とした大木さんならではの親しみを感じる。きっと鉄道ファンなら誰もが同じと思われる。

文明が衝突して来た北緯40度線近辺のルートをシベリアの果てからポルトガルまで地球を半周するとそこにある様々な変化。膨大な記録から鉄道写真(私の定義です)だけを見ては失礼になりますが何枚か鉄道写真の事例を取り上げてみました。

私は社会がゆるいと人々に優しさが存在すると感じたが、本のあと書きによると大木さんは国によってなぜ「人々の心の優しさ」に差が生まれるのか、これは中々難しくて理解できなかったそうです。「人々の心の優しさ」は非常に大切な視点で注意深く観察し考えてみたとありました。
やはり、何気ない駅風景や車内風景を捉えた大木さんの写真には人々の心の優しさが感じとれる。例えばカメラ向けられても平気で気にしない人々の心の優しさや社会など。

これまで海外の鉄道には全く関心ない私だったがこういう鉄道写真には堪らない魅力を感じてしまいます。