案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年11月30日火曜日

大木 茂さんの写真展(2)

大木茂さんの写真展(最終日)へ再び行ってきました。
「ぶらりユーラシア」~列車を乗り継ぎ大陸横断、72歳ひとり旅~

紀行文と写真を綴った絵巻物はよくある写真家の異国の旅の写真展とは違って、私の先入観かもしれないがやはり蒸機写真集『汽罐車』を原点とした大木さんならではの親しみを感じる。きっと鉄道ファンなら誰もが同じと思われる。

文明が衝突して来た北緯40度線近辺のルートをシベリアの果てからポルトガルまで地球を半周するとそこにある様々な変化。膨大な記録から鉄道写真(私の定義です)だけを見ては失礼になりますが何枚か鉄道写真の事例を取り上げてみました。

私は社会がゆるいと人々に優しさが存在すると感じたが、本のあと書きによると大木さんは国によってなぜ「人々の心の優しさ」に差が生まれるのか、これは中々難しくて理解できなかったそうです。「人々の心の優しさ」は非常に大切な視点で注意深く観察し考えてみたとありました。
やはり、何気ない駅風景や車内風景を捉えた大木さんの写真には人々の心の優しさが感じとれる。例えばカメラ向けられても平気で気にしない人々の心の優しさや社会など。

これまで海外の鉄道には全く関心ない私だったがこういう鉄道写真には堪らない魅力を感じてしまいます。







2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

拙写真展に2度もお出でいただきました、ありがとうございます。
ぼく自身は風間さんの直後の世代、1970年代に日本の鉄道を撮影した世代です。風間さんのように地方私鉄ではなく国鉄幹線,亜幹線に興味を持ち撮影していました。すぐ近くに、今思えば魅力一杯の地方鉄道が有ったのですが、情けないことに見逃していました。
そういう意味でも、地方鉄道に着目され、しかも準広角のレンズ一本で撮影された数々の写真には深く感銘、その表現力に言葉もありません。
凄いことをなさっていたと思っています。

風間さんがおっしゃられる通り
「何気ない駅風景や車内風景を捉えた大木さんの写真には人々の心の優しさが感じとれる。例えばカメラ向けられても平気で気にしない人々の心の優しさや社会など。」
というのは50年前に風間さんがやってらしたことを、今ようやくぼくがやってるのですな。

東アジアや東南アジアに、今旅をすると、成田から5000~6000kmの距離を移動するのですが、それは地表を移動するだけでなく、時間軸を遡る旅でもあることに気が付きます。
何気ない田舎の風景に、あ〜これはぼくが子供のときに見た光景だな、と思うことがあります。
今回のユーラシアの旅も、過去への旅だったかもしれません。
風間さんが感じとってくださった「人々の心の優しさが感じとれる」というのは1960~70年代の日本の姿だったのかもしれませんね。
その時代を知っていた方から、頂いたお言葉に深い意味を感じ、ありがたく思っています。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。

katsu さんのコメント...

Unknownさん
先日は大変な集大成を見せて戴きありがとうございました。
見ておいて良かった、もう二度とこのようなチャンスは巡って来ないでしょう。
弊ブログにコメント戴きありがとうございました。大変光栄です。

一回目の見学で紀行文をじっくり読んで写真を見ると何かウルッと来るものがありました。
それが何なのかよく分からなかったのですがその夜に気づいたのが、かって日本にもあった人々の心の優しさでした。大木さんの数々の作品からその優しさが伝わってきたのです。
失われた日本の風情を求めて海外へ向かったのは私達の少し下の世代から始まったようでそのパワーには驚きます。

鉄道の日常風景を当たり前に撮影できた日本の1960年代、ところが駅や車内の日常風景の写真に価値を見出すようになったのは私達の後の世代からでした。
せっかく1960年代の現場に居ながら私達年代の意識はまだまだ薄かったのが残念です。
これを撮るには図太さが必要で私は十分に撮影できなかったのですが、もし堂々といくら撮っても注意されたり嫌な顔されたりは無かったと思います。それがゆるくて優しい社会1960年代でした。
私達世代はラッキーだった喜びと同時にまだまだ意識薄かった悔しさが交錯します。

日本で失われた心の優しさ社会の優しさを海外に求めて成し遂げた大木さんの力作に頭が下がります。
ほんとうにお疲れさまでした。