案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2024年2月12日月曜日

雨上がりの耶馬溪2

耶馬渓線の沿線でハイライトとなる羅漢寺駅は今や跡かたもないようだ。羅漢寺の駅および周辺の写真を並べてみます。

山国川に沿って走る列車が耶馬渓の景勝地に入ると、まもなく羅漢寺の駅に到着する。走ってきた洞門駅側を振り返ると「青の洞門」の上にそびえ立つ岩壁が迫り、鉄道(地方私鉄)と絶景が見事に備わった素晴らしい駅であった。

羅漢寺駅から、雨上がりの山国川沿いを上流へ歩いたが人の気配が全く無かったのが印象的。きっと観光客はバスでやってくるのだろう。沿線でカメラを持った鉄道ファンに出会うこともまずない時代であった。
撮影日:1967.3.5

羅漢寺駅へ引き返す手間で撮った1枚。左手に見える駅ホームと駅前の味わい深い民家、そして背後にそそり立つ耶馬渓の競秀峰。
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羅漢寺に到着した混合列車。羅漢寺から中津方面を見ると、耶馬渓の山国川に面した競秀峰が列車の背後にそそり立つ。

羅漢寺から引き返す車窓に「青の洞門」が見え、その先で山国川の鉄橋を渡る。
洞門 - 羅漢寺

青の洞門(隧道、トンネル)

羅漢寺を出た気動車の車窓に鳥居が見え、その向こうのに山国川に沿ってそそり立つ競秀峰とその裾にある大分県指定史跡 全長約342m 「青の洞門」が見える。洞門 - 羅漢寺


雨上がりの山国川橋梁を渡ると洞門の駅がある。沿線の民家は茅葺き屋根が多い。
 羅漢寺ー洞門
 

2 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは、私が中学生の頃昭和58年ですが、その時に林間学校で大分へ行きました。
当時は高速道路が無く渋滞の国道10号線をしずしずと遠足バスで進んで行きました。
中津市郊外に行くと大分交通の車両が集められているのに気付いて興奮しました。現在の汽車ポッポ食堂ですね。当時からオープンしていたかは分かりませんが。
同じ鉄道ファンのクラスメートも目をキラキラさせて見ていました。湘南型っぽいディーゼルカーでちょっと田舎のローカル線っぽいグリーンとクリームの色分けは斬新でした。
オープンデッキの客車も有ったような無かったような。

羅漢寺駅付近に写っている大きな雰囲気の良い民家とはひょっとしたら平田家住宅ではないでしょうか?
彼の地は平田城址もあり、駅も平田駅が有り、由緒正しい平田家の末裔の女性が住まれていたと記憶しています。
現在は旧平田邸として保存活用が模索されています。耶馬渓線の廃線跡を見るたびにもう一回り早く生まれて乗りたかったと思ったものです。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
平田家住宅の件、ありがとうございました。
全く知らなかったです。
ネットで早速調べてみました。
私が撮った写真と建物がとてもよく似ている感じで、もしやと思いましたが
別の建物でした。きっとこの地方独特の造りで似ていたのでしょう。
旧平田邸がある場所は羅漢寺駅から二駅先の平田駅ですね。

旧平田邸の周辺と、羅漢寺駅の周辺で山国川の流れと線路跡(今は自転車道)
のカーブがとてもよく似ていて見間違いしそうでした。

平田駅の跡はとても綺麗に整備されているようですね。
耶馬渓線はこんな素晴らしい風光明媚な沿線を延々守実温泉まで走っていて
大変魅力溢れる路線だったと思います。