案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年1月10日火曜日

昭和37年(2)

鹿島参宮鉄道竜ヶ崎線。
車両周辺に写った建造物が興味深い昭和37年。

 
竜ケ崎駅 引き込み線


竜ヶ崎駅の入替作業



龍ヶ崎機関区


4号機


佐貫駅

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

1枚目の写真に目が釘付けになりました。このまま2.5次元セクションに作りたいです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
アメリカンのCedarさんがこんな風景もお好きなんですか?

鹿部電鉄 さんのコメント...

タイトル画像が栃尾線に変わりましたね。雪景色の中の3両編成、スチルなのに画面を見ているとそれぞれの電車が揺れているかのような錯覚を覚えます。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
写真は1975年3月に撮影したモハ205+モハ212+モハ215の編成です。
垂直カルダンドライブとして最後まで残った1両が中間でパンタ挙げているモハ212。
モハ205は大変な電車で全くスタイル異なる元ガソリンカーでした。
こんな珍編成を総括制御で精いっぱいの近代化を図ったにも係わらず、
あっという間に鉄くずと化したのはとりわけ関係者にとって無念だったでしょう。

にぶろく さんのコメント...

昔の私鉄って
どうしてこんなに生活臭があるんでしょうね。
線路が人々の生活の中に入り込んでいる感じ。
その距離感は現代にはありません。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
人々の生活と線路を遠ざけてしまったのは経営合理化だと思います。
小さな駅に駅長がいて、小さな車両1両に車掌がいた。昔はそんな時代でした。