案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年4月17日日曜日

よき時代の下津井電鉄2

1961年に新型車モハ103を投入した2年後、1963年は良き時代の下津井らしい車両がまだ活躍していて、私の1年後に田辺さんが訪問していました。

撮影:田辺多知夫 1963.7.19 


魅力溢れる傑作の編成 モハ50形+サハ1or2+クハ9   茶屋町


下津井電鉄の看板新型電車モハ103+クハ24 茶屋町


気動車改造型のモハ54 下津井

2 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは、下津井電鉄には思い入れがあるので何度も書き込まさせていただいてすみません。
私の2回目の訪問は大学に上がった昭和63年の夏の事でした。事前にメリーベル号が運行に入った事は知っていました。鉄道雑誌で見た時は驚きとうれしさもありましたが、何となくこれじゃない感もありました。
しかしナローゲージの久々の新造車両が出たことと、下津井駅構内では蒸気機関車に乗れることを素直に喜んで乗りに行こうと思いました。
児島駅に関しては本当はバスセンター側に少し延長してほしかったと思いました。駅本体も少々これじゃない感はありました。しかし入線したメリーベルは3両編成で堂々としたものでした。
琴海駅での交換も記憶があります。下津井駅に到着したら蒸気機関車が煙を上げていると期待したのですが、夏休み期間中というのに動いている気配はありませんでした。駅職員さんに聞くと「今日は動いていない」と。喫茶店も営業していませんでした。少々がっかりでしたが、それでも三度平成2年夏にも訪問しました。その時はメリーベルは2両編成になっていました。
ダイヤも減便されていました。これで大丈夫だろうか?と思いつつ、それでも下津井駅に到着したら駅構内を散歩したり、海岸に出てみたり楽しく過ごせました。
下津井駅には売店が営業していて、見ると廃線区間の切符が名刺入れに入れて売られていました。ちょっと高いなと思いつつ、それでもどれにしようと目を凝らしてチェックして買い求めました。
職員さんは私が鉄道ファンとすぐわかったでしょうが、ちょっと何か考えた感じで、そっと廃線区間の切符を数枚余計に分けてくれました!
嬉しく「わあ、ありがとうございます!頑張ってくださいね!!」と言うと、ニコニコしていたその職員さんは急に眼を強くつぶって俯いてしまいました。そして少し間を置いて「・・・はい」と。
少し心配しましたが、それでも「下電はきっとしぶといから大丈夫、また来よう。」と思っていました。
その夏休み明けの9月、鉄道雑誌に「下津井電鉄線廃止へ」の記事を見つけて愕然としました。
暫くショックで落ち込みましたが、あの時の職員さんの辛そうな笑顔とともに、それでもやはり下津井電鉄には良い思い出ばかりです。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
私が3度目に訪問したのは1968(昭63)年4月ですからU-BOATさんとは数か月違いですね。
4月10日の大橋開通の前日でメリーベルに乗った団体客が鷲羽山で下車していました。
小さな蒸機が煙を吐いていて軽便車両が陳列され夢のような下津井駅でした。
ところが客が見当たらず、この日が派手な観光施設活躍の最後だったのか?
翌日の大橋開通で観光客はどっとJR児島駅に押し寄せたことでしょう。
U-BOTさんが見た数か月後の観光下津井駅は悲惨のようでしたね。

私が観光下津井駅で最も印象に残ったのは温室のような喫茶店まで作ったことで、
こんなナロー動態車両を見る喫茶店は今も何処にもないと思います。
当時の下津井電鉄の心意気にほんとうに感心します。