案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2022年4月12日火曜日

よき時代の下津井電鉄1

昨日変更したタイトルの写真です。
写真集「地方私鉄1960年代の回想」の下津井電鉄で使った1シーンの次の1コマです。

撮影:1962.7.29

瀬戸内海の風景を行くよき時代の下津井電鉄の車両と風景。
琴海-鷲羽山 


バケット付気動車を改造した電車が活躍していた時代。下津井 


琴海


4 件のコメント:

鹿部電鉄 さんのコメント...

あらためて下津井電鉄の記事ありがとうございます。
岡山まで山陽本線の各停に乗車中、駅名暗誦を試みました。茶屋町、天城、藤戸、、、、阿津、琴海、鷲羽山、東下津井、下津井。60年近く経っても、若い頃に覚えた心地よいリズムは今でもスラスラと蘇ります。
当時の宇野線で岡山の次は大元、岡山臨港鉄道があり、和気の片上鉄道や倉敷の水島臨海鉄道(市交)の個性あふれる気動車群に魅せられて幸福感に浸ったものです(病気です)。
あの頃の取って置き蔵出し画像がもしあれば是非見せていただきたいと思います。

katsu さんのコメント...

鹿部電鉄さん
60年前の下津井電鉄の駅名を今も暗唱しているとは凄いですね。
あの良き時代に撮った写真でお気に入りは私の写真集に殆ど使ってしまいました。
今残るのは落穂拾いの写真ばかりですが、
下津井の未公開写真を1枚貼っておきました。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは、私は下津井電鉄は計3回乗りました。一度目は高校1年生の夏、昭和60年の事。生まれて初めて軽便に乗れるとあって興奮しました。児島駅はバスセンターの端っこにプレハブ小屋みたいな待合室のホーム1面のみの状態でした。児島駅の駅舎を残して下津井行きの列車が使うホーム以外はバスが電車のふりをして入ってくれたら良いのにと思ったものでした。
初めて乗ったのはモハ103+クハ24で、これが私が初めて乗った湘南型電車でもありました。途中の駅舎も少々荒れ気味でしたが、終点下津井は立派な駅舎でしかも有人駅だったので、入場券と記念切符も購入しました。
構内にある井笠鉄道ホジをみて「あれを定期運用すれば良いのに」と思ったものでした。モハ1001の赤いクレパス号は出来れば落書きなんかさせなければ良いのにと思いました。
工場内にも入って写真を撮りました。職員さんが私が入り込んでいるのに気付いてヌッとこちらを見た時は怒られるのかとドキッとしましたが、ファンと分かったのか黙って引っ込みました。
その会社の雰囲気とは何となく利用者には伝わるもので、細々ながら愛情をもって鉄道部門を維持しているのが分かりました。
丸亀行きのフェリー航路も健在で、タグボートのような小さなフェリーが到着すると海水浴帰りと思われる小学生たちが多数下りてきて、児島行きの列車に乗り込んでいるようでした。全くの部外者なのに、「今乗った人たちがみんな大人ならばいの料金が取れるのに。」と思ったものでした。
天気にも恵まれて下津井の海も美しく、とても好印象だった記憶があります。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん
私も2'6''ナローの初体験が下津井電鉄でした。
この前日は西大寺鉄道の3フィターを訪問していたので更に狭い2'6''に歓喜したものです。
昭和37年はまだ部分廃線されてなく、岡山から丸亀に渡る丸亀航路の一翼を担っていました。
そんな四国へ渡る旅の情緒も大橋開通であっという間に四国に到着。

時代の激変に下津井電鉄の企業努力も尽き果てた感じです。
下津井電鉄利用の旅の情緒もすっかり消えてしまいましたね。