案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年8月18日水曜日

昼下がりの日方駅 野上電気鉄道

8月20日発売のTMS 9月号連載第27回は「昼下がりの日方駅」です。


紀勢本線海南駅から離れたところに野上電鉄の起点日方駅があった。日方駅は80mほど先に国鉄海南駅との乗換え専用の連絡口駅もある変わった駅であった。背後に藤白山脈が迫る構内には地味な青緑色に塗られた元阪神や元阪急の小型車が至る所に休んでいた。


紀勢本線海南駅のホームの端から野上電鉄に乗換える通路があった。

野上電鉄日方駅の構内の端にあった連絡口駅。

日方駅の構内に休む元阪神の小型車と、本線で3扉車が停車しているところが連絡口駅。


日方駅。
木造駅舎の入口に木板に手書した日方驛の文字。コンビニや自動販売機、ワンマンカーもまだなかった時代。電車が発車するまでのひと時、昼下がりの日方駅にこの時代独特の空気感が流れていた。

売店の上の奇妙な絵画は、終点 登山口から行ける生石(おいし)高原の観光案内のようだ。

2 件のコメント:

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。いつも楽しく見ています。
野上電鉄は2回訪問したことがあります。2回目の訪問の時はあいまいなのですが、1回目の時はわざわざ登山口駅の近くの旅館で宿泊しました。
知らない町のローカル私鉄の始発駅から乗り込んでみると言うのをしたかったからです。
旅館?民宿?は駅の割と傍だったはずですが、玄関口の土間が大きな町屋のような建物でした。老夫婦が経営していて朝食は出来るけど、その日の夕食はあいにく出来ないと言われて近所のスーパーにカップラーメンを買いに行きましたが、それでもお湯とともにお握りを2個握ってくれました。
お風呂は中庭?に面した五右衛門風呂にバランス釜を付けたものでしたが、何だかレアな体験でとてもうれしかった覚えがあります。
肝心の野上電鉄は地方ローカル私鉄が好きだった私にとっても非常に満足いくものでした。車内放送設備が無くて年配の車掌さんが大きな声で次の到着駅を言っていたのが印象的です。
日方駅のクラシックな駅舎も、すぐ傍の本社建物も記憶にあります。特に日方駅には古いスクーターが置いてあって、それをじっと見ていると駅員さんが「うちの社員のバイクだよ。」といろいろ説明してくれました。
そんなこんなも自分にとってはとても好印象で、廃業の時は少し殺伐とした雰囲気になっていたというのが意外な感覚なのですが、鉄路廃止では無く会社そのものが整理解散で、職員の皆さんもこれからの生活を心配しなくてはならないと言うのを知ると同情する気持ちにもなります。そういう気持ちになるのは自分が中年になって自分の家族が出来たから何となくわかってしまいます。

日方駅に置いてあった古いスクーターは自分の記憶が正しければ富士重工のスクーターでした。
昭和43年頃には生産終了していたはずですが平成年代に入っていても地方都市を旅行すると、ちょっとした商店の傍などに置いてあることがあってとても興味をひかれました。
そんなことから今では古いスクーターに乗って遊ぶことが増えてしまったのだと思います。

katsu さんのコメント...

U-BOATさん

こんにちは。
泊まった駅前旅館には話題が多いものですね。
驚きの粗末な宿ほど楽しい思い出になります。
私はそんな宿の写真を撮っておけば良かったと今になって悔しい想いをしています。
スクータが好きなんですね。
ブログ拝見しました。
エンジン車の機械いじりは趣味なのか本職なのか分かりませんが楽しそうですね。

駅の周りに様々なものが写っていると楽しいものです。
それらが邪魔だど思ったことはまずありません。
私の写真の中でスクータがどこかに写っているかもしれません。