案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2021年7月21日水曜日

漁港がすぐそば 滝駅

7月20日発売のTMS 8月号、失われた情景 第26回は「漁港がすぐそば 滝駅」です。
北陸鉄道の非電化路線「能登線」はまさに日本の夏でした。
能登半島を走っていた能登線の夏は海水浴客が賑やかで、
朝は殆どの気動車が出揃っていて様々な気動車+客車が海辺へ行き来していた。
何でこんな駅に降りたのかと思っていたのが羽咋から二つ目の滝駅。
ここから柴垣へ向って歩いて撮影ポイントに行くのが目的で下車したのであった。


昔の航空写真で小さな漁港と漁村そして滝駅の配置を知りジオラマ題材に纏めてみました。
ほとんど記憶は無いけどあの時の写真には様々な情報が記録されている。


滝駅の部分拡大写真。
スプリングポイントの向こうに拡がる滝駅。生い茂った草に埋もれてしまいそうなホームと線路。草むした構内で遊んでいる子供たち。未舗装で真っ白に乾いた道路を日傘を差して歩くご婦人。駅周辺には昭和30年代の民家が並ぶ。 1962.8.2


漁村を行く能登線の航空写真。1952年


滝駅の模型的路線図。


滝駅

2 件のコメント:

代打・山本 さんのコメント...

滝駅は加古川線と烏山線にもありますが、能登線の滝が開業したのは加古川線よりも遅いので、本来なら旧国名を冠して「能登滝」にしないといけなかったのかもしれません。
3つ先の「大島」(おしま)も唐津線の大島より開業が遅いのにそのままですが、その次はちゃんと「能登高浜」で、このあたりがよくわかりません。
省線との連絡運輸があるかないかだったのでしょうか。

katsu さんのコメント...

代打・山本さん
何故、能登一宮と能登高浜だけに能登がついたのかよく分かりませんね。
松本清張の小説のせいかも知れませんが、
語感からして能登一宮と能登高浜はとても良いイメージがします。