案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年7月22日水曜日

1962年夏 くじ場車庫

1962年夏に撮影した井笠鉄道のネガもいよいよビネガーシンドロームで最後を迎え、改めてスキャニングをやり直してみました。くじ場車庫では様々な車両が賑やかに保管されていた時代であった。

真夏のくじ場駅

1962年夏のくじ場には様々な単端や単端崩れがいて、その中に下津井電鉄カハ2が井笠に来て客車化されたハ18がいた。

1号機の背後では客車の木工作業が行われている。

有名なコッペル1号機


くじ場の保存、現役車両

ハ18と同形のハ17

検査上がりかとても綺麗だったホジ9(現役)

コッペル7号機

立山重工製のCタンク10号機

6 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

正に井笠の全盛期ですね。
コッペルや単端がバリバリ現役なのも
昭和30年代です。
後にホジ3が下津井に移籍したのも
軽便のご近所付き合いなんでしょうね(笑)

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
この1962年は既にコッペルや単端は引退していましたが、
蒸機、単端、単端くずれ客車などは処分されずに大切に保存されていました。
これらを一堂に集めた貴重な博物館の夢は、くじ場の火災でご破算になりましたね。
9号機コッケリル社製Bタンクが一時野辺山にいたりして多くの蒸機は散り散りになってしまった感じがします。

U-BOAT さんのコメント...

こんにちは。
ホジ3の話の続きですが、下津井電鉄が茶屋町-児島間の廃線処理に使うつもりで購入したのですが、値切られたから一番調子の悪かったホジ3を売ったと言う話を聞きますが、本当なんでしょうか?
でも結局鬮場駅の車庫が火災に遭ったので、難を逃れたというのも皮肉な話ですね。

しかしその後井笠バスは破綻してしまうから、仮に鉄道博物館を作っていたとしてもその後はあまり良い事にはならなかったのではないかと言う気もしています。

katsu さんのコメント...

Unknownさん
井笠鉄道が鉄道遺産保存に力を入れる考えを持っていたと推測しますが、
確かに井笠バスの破錠からすると廃線後の保存活動でも良いことは無かったのでは? 私もそう思います。
井笠鉄道の惚れ惚れする車両は一部の保存車、写真、模型を見て楽しむしかありません。

esehoku さんのコメント...

検査上がりのホジ9は貫禄さえ感じますね。最も美しいバケットカーと言っても良いかと思います。
ホジ12などはあの庇が不恰好に見えてしまう事もありますが、それもまた軽便車輌の楽しさなのですね。
見ていると、軽便模型の世界に入り込んで行きたくなります。
時に率直な疑問なのですが、後から新製された近代的デザインのホジ1〜3が、なぜ旧型車より番号が若いのでしょうか?
ただ単に空いている番号を充てただけ、と聞いた事もありましたが、そうするとホジ101などは3桁になっているし、よくわかりません。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
鉄ピクによれば
旧ジ1~3(2軸の単端)が付随客車ハ15、16に改造されて動力車ジ1~3が欠番となっていたので、
新型車ホジを2代目1~3とした、とあります。
次の増備車のホジ101、102は何でこんなに離れた番号なのかはよく知りません。