案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2019年1月21日月曜日

渋谷の都電のりば

刻々と変りゆく渋谷を最近撮ったのは今年9月半ばで、4か月経った今は更に変化していることでしょう。昔、東急文化会館の前にあった都電のりばと変りゆく現在とを比較してみました。

50年前にこの都電のりばが消えバスのりばとなったこの一角は、東横線の渋谷駅が地下化される前までは何となく昔のイメージを把握できていた。
ところが、今はもうそんな昔のイメージはとっくに消滅して更にわけ分からなくなっていくのだろう。



2018.9.14 バスのりばがあったところにビルを建設中。

東横線の渋谷地上駅とバスのりばがあった頃 2013.2.27

都電34系統(渋谷~金杉橋)  1967.12.03

都電6系統(渋谷~新橋)六本木行と10系統(渋谷~須田町) 須田町行


9 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

昔の渋谷は、谷底の狭さを活かして様々な交通がうまく結節した、使いやすいターミナルでした。
今やってる再開発(この言葉大嫌いです)とやらは、結局事業者のエゴが優先した街壊しですから。
行く度に腹が立つので、なるべく行きません。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
昔の継ぎはぎだらけの渋谷駅は玉電、井の頭線、地下鉄、山手線の実に乗り換えが実に便利でしたね。
再開発も一極集中で人が集まるうちは良いけど、人口減と再開発だらけでいずれは閑散とする時代が来るでしょう。

伊豆之国 さんのコメント...

渋谷駅東口の都電乗り場は、小学生時代におぼろげながら記憶が残っており、都電がなくなってバス乗り場になってからも、上をまたぐ東横東館と文化会館を結ぶ渡り廊下は、その文化会館の最上階にあったプラネタリウムによく行ったので、今も印象深い風景でした。
昔の東急は、文化会館にBunkamursと、ともかく「文化」の香り高い街づくりを考えていたのに、その文化会館を壊して若い連中にこびたようなよくわからないビルを建てたり、東横も「プラザ」も壊し、そして今度は南側の雑居ビルが立ち並ぶ一角も「再開発」だとかで、今の闘Qには「文化」に対する造詣が消えうせたような気がします。

♯前の記事は名前を書き忘れたので、削除してください。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
東急文化会館があった時代が懐かしいです。
東横東館もとっくに消えましたね。
次第に渋谷は昔人間にとって近寄りがたい街になり、新宿の方がずっと親しみを感じます。
あと何年かすると渋谷は完全に生まれ変わってしまうことでしょう。

chitetsu さんのコメント...

空が広いですね!
最近はどこでもそれが狭くなって、風ばかりが強くなってゆとりが無くなった気がします。
渋谷はそれが顕著ですね。

katsu さんのコメント...

置き猫さん
世代によって今と昔の想いはさまざまです。
人それぞれに否定あり賛美あり、想いは違うのが当たり前。
それはそれでよいではないですか。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
今、昔の東京の写真を見るとどこでも空が広かったのですね。
いつの間にか高層ビルが林立する今の風景になってしまい、
あっという間の50年でした。

esehoku さんのコメント...

空が見えている、しかもその空が広い。
モノクロの画像からも、冬の澄み切った空の青と、乾いた風が吹くのが伝わってくるようです。
東京の風景こそ、オリンピックの頃をを境に激変したわけですが、Cederさんもコメントされているように、再開発が「街壊し」になるのは残念ですね。
地名なんかもそうですが(高輪ゲートウェイ…何とかならないものでしょうか…)、その土地の伝統、街の機能や風景を上手く融合させた開発・発展を望みたいです。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
渋谷ではないですが再開発と言えば、駅前の商店街を取り壊して大きなビルをドンと立てて太い道路を通す、そんなイメージがあります。
ところが、全国から人が集まる吉祥寺北口は、駅前ロータリーの整備くらいで街を壊すような再開発なくても
商店が活き活きとしています。
駅周辺の整備はお決まりの再開発でなくても、いろんな手段があるような気がします。