案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年7月16日月曜日

土佐電 はりまや橋

昭和44年、南国の夏の日差しと思ったら5月のことであった。

はりまや橋。  1969.5.5

今もこんなに賑わっているのだろうか。はりまや橋。

サラリーマンでも車が買えるようになって、急速に車社会へ突入した頃。はりまや橋。

はりまや橋

ごめん行の後に続く知寄町行。路面電車の写真は楽しいけれど、どうしてもこういう1パターンの写真のオンパレードになってしまいがち。使い道のない写真からの1枚。

はりまや橋。田辺さんの1枚  1969.2月

3 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

30年前デパート兼バスターミナルがあった頃は、まだにぎやかでしたね。
帯屋通りも人がうろうろ居た記憶があります。
電車もさることながら、松山発高知行きの「なんごく」の最終便で
高知に着いたときの、南国感あふれる雰囲気は言いようがないものが
ありました。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
私は高知は50年前に行ったきりですが、その後いろいろと変わったのでしょうね。
50年前の「はりまや橋」電停も連休でかなり賑わっていました。
車も多くなってすっかり都会になった感じがしたものです。
南国感溢れる雰囲気といえば、私は夜行で長崎駅に到着した時の
別世界に来たなという感じを思い出します。

ねこあたま さんのコメント...

この写真が撮られた前後ではなかったかと思うのですが
今はなくなりましたが、土電と西武がデパートを、この近くに作ったんですよね。
記憶が曖昧ですが、とでんバスはここが主要なターミナルで、かたや高知県交通は
高知駅が主なバスターミナルだったと思うんです。