案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年6月4日日曜日

朝の別府港 雨宮の蒸機

塀の隙間から見た向こうは機関区で盛んに煙を吐いて蒸機が貨車の入替をやっていた。動いているのは雨宮の1号機ではないか。さっそく機関区の門をくぐってことわりを言うと上半身が裸のおじさんが事務所の方へ案内してくれた。所長さんの話によると2軸のキハ1と2は使われていないらしい。朝は2軸のキハ1と2では小さ過ぎて、大型ボギーのキハ3が三岐から来て最近使い始めたとのこと。見るからに不安定そうな2軸キハは自動車と衝突して転覆したことがあるそうだ。

そんな話をしているうちに雨宮1号機が庫内の兄弟機2号機を表に牽き出してくれた。2両の雨宮はとても綺麗な蒸機である。蒸機を撮り終わると、さっきの裸のおじさんがトビラを開けて別の引き込み線がある奥へ案内してくれて、そこには湘南カラーに塗られた2軸客車が何両も押し込まれていた。1962.07.28

味わい深い社紋と銘板.

雨宮の1Bタンク2号機

外に牽き出された2号機.

雨宮の1号機と2号機.

この日活躍していた1号機.

2 件のコメント:

12号線 さんのコメント...

初めまして。
時代離れした列車の姿は最晩年まで続き、最終年元旦の朝DB201に引かれたハフ7が別府港駅に着く様を今でも脳裏に焼き付いています。
ところで野口線や機関庫の奥にホッパー跡と思わしき遺構が見受けられますが、多木の工場があったのでしょうか?
木造ハフが残っていた頃にはその側線に押し込んでいたという記事もありましたゆえ。

katsu さんのコメント...

12号機さん
初めまして。
板塀にあったドアを開けるとそこに何両も客車が留置されていた側線、あれは何だったのか。
得体の知れない残骸がや煙突があり、確かに工場の跡だったのかも知れません。
ピク誌の別府機関区配置図ではあの一角に工場の文字がありました。