案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年6月6日火曜日

朝の別府港 別府機関区

客車がいた一角や機関区をだいたい撮り終えて帰ろうとすると、さきほどの上半身裸のおじさんが貯炭場脇の小屋の中で井戸で冷やした麦茶でもてなしてくれた。夏の私鉄めぐりの初日、こんな有り難いエピソードからスタートした。 1962.07.28

板塀で囲ったまるで要塞のような別府機関区は、右手に長い機関庫が見えその左にヤグラのような得体のしれないものが見える.その先にハリマ○○と書かれて煙突があった.

両側を板塀で囲われた機関区全景で左が雨宮2号機が休んでいた長い機関庫で、その先のもう一つの機関庫で6号機が休んでいた.そして板塀に「←扉」と示したトビラを開けると客車が留置されている一角があった.

貨車の後ろが長い方の機関庫でかなり古ぼけている.2軸気動車の2両はこの中にいた.

機関庫の中の2軸気動車キハ1と2(初代).上の明かり窓から日が差し込む.

給水塔・貯炭場の背後に見えるのが板塀の向こうの一角にあった何かの跡?

冷たい麦茶を飲ませてくれた貯炭場の脇にあったポンプ小屋?


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