tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post3854737647378224640..comments2024-03-24T21:36:50.201+09:00Comments on 地方私鉄 1960年代の回想: 朝の別府港 雨宮の蒸機katsuhttp://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-60930900772123498242017-06-05T20:48:52.164+09:002017-06-05T20:48:52.164+09:0012号機さん
初めまして。
板塀にあったドアを開けるとそこに何両も客車が留置されていた側線、あれは何...12号機さん<br />初めまして。<br />板塀にあったドアを開けるとそこに何両も客車が留置されていた側線、あれは何だったのか。<br />得体の知れない残骸がや煙突があり、確かに工場の跡だったのかも知れません。<br />ピク誌の別府機関区配置図ではあの一角に工場の文字がありました。<br /><br />katsuhttps://www.blogger.com/profile/03959477113313491581noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-4604897916486738545.post-18321420981365132082017-06-05T07:02:59.959+09:002017-06-05T07:02:59.959+09:00初めまして。
時代離れした列車の姿は最晩年まで続き、最終年元旦の朝DB201に引かれたハフ7が別府港...初めまして。<br />時代離れした列車の姿は最晩年まで続き、最終年元旦の朝DB201に引かれたハフ7が別府港駅に着く様を今でも脳裏に焼き付いています。<br />ところで野口線や機関庫の奥にホッパー跡と思わしき遺構が見受けられますが、多木の工場があったのでしょうか?<br />木造ハフが残っていた頃にはその側線に押し込んでいたという記事もありましたゆえ。12号線noreply@blogger.com