案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年6月2日金曜日

朝の別府港 ボギー気動車

別府鉄道の別府港駅、ここから野口まで走っていたボギー気動車を撮ったのは早朝であった。
前夜19:30発の急行「はりま」で東京を発ち朝6時頃明石に到着し、山陽電鉄に乗換え20分ほどで築堤上にあるの山陽別府駅に到着すると、少し離れた別府港駅辺りから蒸機の煙が垂直に昇っているのが見えた。
商店もほとんどない駅前通りを抜けて別府港駅に向かうと、湘南カラーの大きな気動車がノロノロと野口へ向かって行った。板塀の隙間から向こうを覗くとそこは機関区で雨宮の1号機が煙を吐いていた。1962.07.28

気動車が走る野口線とSLが走る土山線が分岐するあたりの田んぼで両方を狙った.

別府港駅を発車し機関庫脇を野口へ向かうキハ3.この頃二代目キハ2はまだ入線していなかった.

野口線の線路.そして板塀の向こうに宝の山の世界があった.

 ロクサンが走っていた山陽電鉄「電鉄別府」駅が田んぼの向こうに見える.

現役時代の山陽のロクサン電車.電鉄別府-須磨町

山陽電鉄の下を土山へ向かう土山線の煙.早朝はこんな裸のおじさんがよくいた.

山陽電鉄の姫路行急行.

7 件のコメント:

ねこあたま さんのコメント...

30年以上前の廃止の前に行きました。
ちょうど大学生の時で、後期試験の空き日で
試験勉強をしないと解っていましたが
行ってしまいました。

雪が積もっていて印象的な光景でした。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
私は別府鉄道の夏しか知りませんが、
夏の機関区の麦茶のもてなしが忘れられません。

ねこあたま さんのコメント...

分類的には引き込み線の延長になるんでしょうね。
連絡駅で国鉄が貨物取り扱いを廃止にしたことが、致命的になった感があります。
(それから数年後廃止になった加悦鉄道も同じような経緯だと思います)

当時は塩屋を過ぎると田舎感満載でしたし、山陽電鉄との競合には勝てなかったから
廃止に至ったのは仕方が仕方がないでしょうが、都市間の隙間に突如として
旧式の客車やDCが動いていた不思議な鉄道でしたね。

katsu さんのコメント...

ねこあたまさん
何もかもが不思議な鉄道でした。
鉄道の背景となった化学会社は随分長い歴史があって
正に貨物の鉄道であった訳ですね。

岡村順一郎 さんのコメント...

私もこの鉄道を昭和46年8月に訪れていますが、好印象のユニークな鉄道でした。この当時は、どこの地方鉄道では車庫の見学を申し出ると、たいてい許可してくださいましたが、特に別府鉄道は親切に中に通してくれました。また、出札口で切符を買うとおまけに古い硬券をくれたりしました。私が乗った列車は土山線がDB201+ハフ7+貨車の混合列車、野口線がキハ3でした。

岡村順一郎 さんのコメント...

私が見たことの無い、SL時代の貴重な画像ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

岡村順一郎様
こちらこそfacebookで九州の貴重な画像を見させて戴きありがとうございます。
別府鉄道は私が訪問した9年後も、長閑な小私鉄風景が変わることなく残っていたのですね。
訪問者に親切に対応してくれたこの別府鉄道はファンによい思い出を残してくれたと思います。