案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年2月4日土曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(3)田園を行く

田辺さんの水浜線第3回目の訪問で撮影場所が分からなかったのが田園地帯を走る風景でした。水戸の樫村様に現地調査戴き浜田~谷田間ということが判明しました。今も水浜と表記された杭があるそうで、小さな道路に水浜線の面影を残しているようです。

モノクロ写真 浜田 - 谷田 1966.02.09撮影 

田園風景の今昔 浜田 - 谷田.現在のカラーは全て樫村様撮影

浜田 - 谷田

水路を渡る風景の今昔.浜田 - 谷田

前回、新緑の木立を撮影した場所を再び訪問、今回は冬の木立.浜田 - 谷田

浜田 - 谷田

水浜の杭.

谷田 - 六反田  1966.02.09

谷田 - 六反田 1回目の訪問1964.04.13 
六反田風景の今昔.

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

水路の橋は遺構でしょうか、市内をはずれるとこんな田園地帯を走ったのとは、変化に富んだ路線ですね。
六反田っていう電停名も痺れます。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
あの橋は軌道線用だったのか、道路のために架けたのかよく分かりません。
「六反田」には私も以前から気になって仕方ない電停名です。
東京の五反田に対し水戸の六反田、面白いですね、
水浜線のイメージが膨らむような六反田だと思います。
春の陽の下を水浜線跡めぐりをやってみたいものです。