案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年2月7日火曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(4)廃線前日

田辺さんの水浜電車シリーズも今回が最終回となります。
4回目の訪問は昭和41年5月30日ということで廃線の前日ながら静かな一日であったようです。2015年7月20日にアップした「ある日の水浜電車 昭和41年」がそれでした。

田辺さんが3回目、4回目に訪問した昭和41年は戦後の車両は仙台へ売却済みで、戦前の旧型車だけが走っていた時代。この時期の水浜電車の風景が最も魅力的に見えるのは旧型車だけが活躍していたせいもあるのでしょう。

本町五丁目 本五丁目のSカーブを行く木造車.1966.05.30

 棚町(旧本社前) - 水戸駅前



平戸近辺か? 大串近辺

涸沼川橋梁 平戸 - 磯浜

大洗の松林. 東光台 - 大洗 

潮の香りが漂ってきそうな終点大洗.

大串と似ているようだが別の駅なのでしょう?

水浜線126~128と同型車で日立電鉄(常北電気鉄道)からやってきた雄勝線ホハフ5.1964年8月

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

素晴らしかった水浜電車こと、茨城交通水浜線のシリーズをありがとうございました。数々の素晴らしい光景に、思わず我を忘れて見入っておりました。こんなにも素晴らしい軌道線(路面電車)があった事、それをこのように纏まった記録にされて事は、後世への画像遺産として誠に相応しいものと思われます。
思えばかつて、あちこちに素晴らしい路面電車が存在していました。私の地元にも、伊豆箱根鉄道の島津軌道線(三島~沼津間)がありました。その廃線跡となった道路を、たびたび所用にて車で通行します。そのたびに、よくもこのような狭い道路(旧国道1号線)に、曲がりくねった路上に、ポール集電の電車が走っていたものだと感心します。そして古地図に現状を重ね、その沿線にあった素晴らしい光景を想像しております。
このたびの水浜線は、その沿線風景の変化の大きさに驚かされます。ことに海岸の風景、松林の傍らを走る姿や、鄙びた漁港の終点に向かって走る姿は感涙物です。その一方で海水浴客が押し寄せ、旅客輸送に翻弄された夏の風物詩など、人々に永遠に伝えられるべき存在の軌道線だったと思います。その姿を現実の物とし、シリーズで掲載して下さった事に、重ねまして心より御礼を申し上げます。これからもぜひ頑張って下さい!

katsu さんのコメント...

匿名さん
この水浜電車シリーズの締めくくりに素晴らしいコメントをありがとうございました。
水浜線の魅力は正にコメントに書かれたその通りで、水浜線現役時代から私はそれに気付いていませんでした。これまでの水浜線の写真で感じたことを最後に記載したいと思っていますので、その時は今回のコメントをそのまま紹介させて戴きます。