案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年2月15日水曜日

水浜線シリーズを終えて

大貫停留場  1966年5月 撮影:青蛙氏 


田んぼの中を走る路面電車. 1966年5月 撮影:青蛙氏 


2013年11月29日の青蛙さんからのメールに添付されていた水浜線の衝撃的な大貫停留場の1枚。これが本ブログで水浜線を取り上げるきっかけでした。青蛙さんの画像が暫く続いた後、田辺さんが4回訪問した画像が見つかり水浜線の記事は計18回も続きました。

水浜線がこれほど魅力ある路線だったとは!!  私は最近になってそれに気付きました。田辺さんは4回訪問して沿線各所を撮影されましたが、水浜線の魅力はまだまだ尽きないようです。
水浜線の風情溢れる魅力は今に至るまで殆ど知られていなかったと思います。市内大通りを走る風景はどこでも見られた路面電車風景ながら一歩専用軌道へ入ればそこは別世界であった。車両写真を大通りと浜田車庫で撮ればそれでおわり、そん車両ファンが多かったのかもしれません。

当時は鉄仲間で訪問の成果(写真)を見せ合うことはなく、水浜線未訪問の私にとってその素晴らしさは知る由もありませんでした。約50年を経て初めて写真で見た水浜線の魅力、この鉄道風情にタイトルを付けるとしたら「海辺のトロリーライン」とでも、これはぜひ廃線跡めぐりに行かねばなりません。軌道跡の小路に立つと潮風、匂い、陽光など当時の空気を感じることが出来るかもしれません。

水浜線最終回の記事に戴いたコメントをここに紹介させてもらいます。

4月中旬の日を浴び、新緑が始まる頃の木立、低い植栽には春の花が満開.
谷田~浜田  1964.04.13  撮影: 田辺多知夫氏

何も説明がいらない感動の一場面. 大串 1966.05.30
撮影: 田辺多知夫氏 
匿名


 匿名 さんは書きました...

素晴らしかった水浜電車こと、茨城交通水浜線のシリーズをありがとうございました。数々の素晴らしい光景に、思わず我を忘れて見入っておりました。こんなにも素晴らしい軌道線(路面電車)があった事、それをこのように纏まった記録にされて事は、後世への画像遺産として誠に相応しいものと思われます。

思えばかつて、あちこちに素晴らしい路面電車が存在していました。私の地元にも、伊豆箱根鉄道の島津軌道線(三島~沼津間)がありました。その廃線跡となった道路を、たびたび所用にて車で通行します。そのたびに、よくもこのような狭い道路(旧国道1号線)に、曲がりくねった路上に、ポール集電の電車が走っていたものだと感心します。そして古地図に現状を重ね、その沿線にあった素晴らしい光景を想像しております。

このたびの水浜線は、その沿線風景の変化の大きさに驚かされます。ことに海岸の風景、松林の傍らを走る姿や、鄙びた漁港の終点に向かって走る姿は感涙物です。その一方で海水浴客が押し寄せ、旅客輸送に翻弄された夏の風物詩など、人々に永遠に伝えられるべき存在の軌道線だったと思います。その姿を現実の物とし、シリーズで掲載して下さった事に、重ねまして心より御礼を申し上げます。これからもぜひ頑張って下さい!

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