案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年7月10日日曜日

昭和38年 あの頃の流山電鉄

以前、本ブログで遠い昔の流山電鉄を紹介したことがありましたが、↓1枚目の写真に縁が深い方からコメント戴きました。昔、ここに住まいがあって中央の小屋のフロ場に入っていたそうです。そういえば私も父が務めていた職場のフロによく入りに行った記憶があります。

撮影 1963.3.31
 崖の下の流山駅奥の佇まい. 

この小屋がフロ場でしたか!  給水タンクの水を小屋に引いて従業員用フロ場としたのでしょうか. 少し前までボールドウィンのサドルタンクが使っていた給水塔でしょう。
そして奥に小さな電車庫、まるで模型のような世界。

けだるい午後の日差しのもと、流山駅の長閑なひと時.
まだ携帯などない時代、女学生達?は何をしていたのでしょうか.


以下も再掲ですが懐かしき流山電鉄の風景を大きい画像で。言い尽くされた車両の型式や経歴などはどうでもよく、この時代の沿線風景が懐かしいものです。
流山駅の背後にあった丘陵、ここが子供たちの遊び場だった. 

右手に醤油工場に行く引き込み線があった.

沿線は自然豊かで長閑な田園風景だった.

この頃の馬橋駅にはローカル私鉄のりかえ駅の風情が溢れていた.

4 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

あの〜…流山電鉄って、今も画像のイメージとそんなに変わらないと思っていました…��
そうしたら、武蔵野線の新松戸で降りて幸谷から鰭ヶ崎まで乗ったのですが…自分が浦島太郎だった事に気付きました。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
今やどこの路線も大変な様変わりに驚きますね。
沿線風景や車両に昔の面影はなし。
流山電鉄は東京に近いので様変わりも激しいと思います。
あの時は流山や竜ケ崎線を訪問したのですが、
竜ケ崎線は今も一面に田畑の広がる風景をテレビで見て意外な感じでした。

風旅記 さんのコメント...

こんにちは。
今日も貴重なお写真を楽しませて頂きました。
近くて遠いと言いますか、いつか乗りたいと思いながらいつも後回しになっていたこの路線に、数年前に初めて乗りました。
お写真の当時と比べれば、沿線に宅地も増え、武蔵野線やつくばエクスプレスなど、なかった路線が地域を東京の通勤圏に変えた結果、長閑な風景は徐々に失われていったのだと思います。
それでも、終点の流山駅の風情は今も変わらず素晴らしいですね。小さな車庫に電車が佇む光景は、まさに模型のようにかわいらしいものです。
醤油工場への引き込み線があったり、馬橋駅で国鉄線との間に貨物の継走用の線路があったり、時代を感じさせられます。
お写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

katsu さんのコメント...

風旅記さん
大変ご無沙汰しております。
貴ブログで鳥海山をバックにした由利高原鉄道の写真に魅了され、あれから6年が経ちました。
あの頃まだ無名だった鳥海山の路線もその後有名になりの車両交代もありすっかり関心薄くなってしまいました。
あのころ私はブログを始めたばかりで、その後6年もブログを続けられるとは思ってもいませんでした。
この6年間、他にやるべきことをおろそかにしブログに時間を掛け過ぎた反省があります。

東京通勤圏の身近な流山電鉄、その後いかに変貌したか私も行ってみたいものです。
今後ともよろしくお願いいたします。