復活おめでとうございます。今や近鉄特急が乗り入れるこの路線も、こんな鄙びた田舎電車だったとは想像がつきませんね。もし合併されずに三重交通のままだったら、もし改軌されずに養老線のようだったら、今とは全く違ったローカル線になっていただろうと思います。この時は真珠港の駅はどんな感じだったのですか?
宵闇さんありがとうございます。まだ復活というほどではなく気分転換にアップしてみました。久しぶりに画像ソフトPicasaを使ってみると、本当に楽しいものです。改軌前の近鉄志摩線は三重交通の電車が近鉄カラーになって全くイメージ変わったのですね。やはりあの電車は三重交通カラーがお似合いです。少し後の時代の真珠港が常夜燈さんのサイトに紹介されています。http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/sima.html
志摩線は昔「私鉄車両めぐり」で見て、こんな電車があるのか、とびっくりしたものです。非電化線のとっさきに電化私鉄が、というシチュエーションもほぼ全滅しましたね。
関西線など、近畿南部の国鉄(~JR)の電化・複線化が遅れたのは、前身であった関西鉄道が明治後期に猛烈なサービス競争を展開して官営鉄道を苦しめた、ということへの「恨み」がいまだに尾を引いて、旧関西鉄道系路線への「意地悪」を続けた、というのはよく聴かれた話でした。関西線~参宮線の系統が早い時期に複線電化されていたら、おそらく「志摩電」に国鉄の豪華特急が乗り入れて(今のようにJRになっていたら「JR東海」の)「看板列車」になって、国内外の賓客のおもてなしを受け、その一方、近鉄は存在したとしても、ルート的に有利な大阪方面でこそ関西線経由に勝っても、名古屋線のほうは「伊勢電」時代からのイメージも引き継いで、関東で言えば京成のような感じになっていたような…と「妄想」もしたくなります…。国鉄の非電化線の行き止まり駅から電化私鉄が…というと、東京近辺では「大昔」は銚子電鉄がそうでしたが…
Cedarさん国鉄ローカル線の参宮線に乗って鳥羽まで来ると地の果ての感じがしたものですが、よく考えれば近鉄特急宇治山田行に乗れば伊勢~鳥羽は大阪・名古屋の奥座敷であったわけです。当時は伊勢市からバスで志摩線沿線に観光ができていたので三重電気鉄道志摩線の存在価値は薄かったでしょう。国鉄末端駅の鳥羽から小さな電車に乗り換えて更に奥の奥にある賢島に向かうローカル私鉄ならではの風情は全滅しましたね。
伊豆之国さんもしJRの豪華列車が名古屋から賢島まで走っていたら今の近鉄と逆転ですね。それにしても志摩線が近鉄になってあの静寂な環境を130Km/hで走るなんて考えられません。賢島へ向かう所要時間短縮がそこまで必要なのでしょうか。関東では同様の路線として銚子電鉄がありますね。国鉄に飲み込まれて近鉄賢島線のようにならなかったのが救われます。銚子電鉄は海辺の小私鉄の長閑さを残しているところが貴重な観光資源だと思います。応援したいですね。
真偽の程は定かでは有りませんが以前、近鉄は国鉄に対し伊勢市~鳥羽間の払い下げを打診したが断れ、現在の鳥羽線を造ったと聞いた事が有ります。Katsuが仰る様にそれ以前は宇治山田から定期観光バスで巡っていました。同駅にバス用のターンテーブルがあるのもその名残です。今月の「近鉄ニュース」に交通調査結果が出ていますが、白木34人 五知20人沓掛24人・・・昨日久しぶりに志摩線に乗りましたが地元の人は高校生位で少ない。三交のままだったら廃止されています。因みに最少は西青山駅で1人。急行停車駅ですが人を見た事は稀です。
常夜燈さんコメントを拝見すると今や近鉄志摩線は特急と賢島だけのために存在している感じですね。近鉄は昔からあった宇治山田でバス乗り継いで賢島や志摩めぐりを継続すればよかったのでは?当然、三重電気鉄道志摩線は廃止でしょうが道路を除けば昔の志摩線沿線の自然は残されると思います。今の近鉄志摩線の地元の客は高校生くらいですか。私は現地を訪問して見ているわけではありませんが、近鉄広軌になってからは生活に密着した私鉄路線の雰囲気は完全に消えてしまったのでしょう。
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8 件のコメント:
復活おめでとうございます。
今や近鉄特急が乗り入れるこの路線も、こんな鄙びた田舎電車だったとは想像がつきませんね。
もし合併されずに三重交通のままだったら、もし改軌されずに養老線のようだったら、今とは全く違ったローカル線になっていただろうと思います。
この時は真珠港の駅はどんな感じだったのですか?
宵闇さん
ありがとうございます。
まだ復活というほどではなく気分転換にアップしてみました。
久しぶりに画像ソフトPicasaを使ってみると、本当に楽しいものです。
改軌前の近鉄志摩線は三重交通の電車が近鉄カラーになって全くイメージ変わったのですね。
やはりあの電車は三重交通カラーがお似合いです。
少し後の時代の真珠港が常夜燈さんのサイトに紹介されています。
http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/sima.html
志摩線は昔「私鉄車両めぐり」で見て、こんな電車があるのか、とびっくりしたものです。
非電化線のとっさきに電化私鉄が、というシチュエーションもほぼ全滅しましたね。
関西線など、近畿南部の国鉄(~JR)の電化・複線化が遅れたのは、前身であった関西鉄道が明治後期に猛烈なサービス競争を展開して官営鉄道を苦しめた、ということへの「恨み」がいまだに尾を引いて、旧関西鉄道系路線への「意地悪」を続けた、というのはよく聴かれた話でした。関西線~参宮線の系統が早い時期に複線電化されていたら、おそらく「志摩電」に国鉄の豪華特急が乗り入れて(今のようにJRになっていたら「JR東海」の)「看板列車」になって、国内外の賓客のおもてなしを受け、その一方、近鉄は存在したとしても、ルート的に有利な大阪方面でこそ関西線経由に勝っても、名古屋線のほうは「伊勢電」時代からのイメージも引き継いで、関東で言えば京成のような感じになっていたような…と「妄想」もしたくなります…。
国鉄の非電化線の行き止まり駅から電化私鉄が…というと、東京近辺では「大昔」は銚子電鉄がそうでしたが…
Cedarさん
国鉄ローカル線の参宮線に乗って鳥羽まで来ると地の果ての感じがしたものですが、よく考えれば近鉄特急宇治山田行に乗れば伊勢~鳥羽は大阪・名古屋の奥座敷であったわけです。当時は伊勢市からバスで志摩線沿線に観光ができていたので三重電気鉄道志摩線の存在価値は薄かったでしょう。
国鉄末端駅の鳥羽から小さな電車に乗り換えて更に奥の奥にある賢島に向かうローカル私鉄ならではの風情は全滅しましたね。
伊豆之国さん
もしJRの豪華列車が名古屋から賢島まで走っていたら今の近鉄と逆転ですね。
それにしても志摩線が近鉄になってあの静寂な環境を130Km/hで走るなんて考えられません。
賢島へ向かう所要時間短縮がそこまで必要なのでしょうか。
関東では同様の路線として銚子電鉄がありますね。
国鉄に飲み込まれて近鉄賢島線のようにならなかったのが救われます。
銚子電鉄は海辺の小私鉄の長閑さを残しているところが貴重な観光資源だと思います。
応援したいですね。
真偽の程は定かでは有りませんが
以前、近鉄は国鉄に対し伊勢市~鳥羽間の
払い下げを打診したが断れ、現在の鳥羽線を
造ったと聞いた事が有ります。Katsuが仰る
様にそれ以前は宇治山田から定期観光バスで
巡っていました。同駅にバス用のターンテーブルが
あるのもその名残です。今月の「近鉄ニュース」に
交通調査結果が出ていますが、白木34人 五知20人
沓掛24人・・・昨日久しぶりに志摩線に乗りましたが
地元の人は高校生位で少ない。三交のままだったら
廃止されています。因みに最少は西青山駅で1人。
急行停車駅ですが人を見た事は稀です。
常夜燈さん
コメントを拝見すると今や近鉄志摩線は特急と賢島だけのために存在している感じですね。
近鉄は昔からあった宇治山田でバス乗り継いで賢島や志摩めぐりを継続すればよかったのでは?
当然、三重電気鉄道志摩線は廃止でしょうが道路を除けば昔の志摩線沿線の自然は残されると思います。
今の近鉄志摩線の地元の客は高校生くらいですか。
私は現地を訪問して見ているわけではありませんが、
近鉄広軌になってからは生活に密着した私鉄路線の雰囲気は完全に消えてしまったのでしょう。
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