案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年4月3日日曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線2)


都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
14系統杉並線新宿駅(新宿大ガード)

東京にこんなクルマが走っていた時代.

小田急デパートの前を左へ向かうと杉並線新宿駅
手前の古い建物は移転した精華学園女子高では?

都電とともに愉快なクルマが走っていた東京. 柏木一丁目-成子坂下

青梅街道らしい風景.  本町5丁目

成子坂下 

4 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

昭和の30年代後半ともなると、都電の軌道敷内にクルマの乗り入れがOKになっていたようですが、この頃はまだ、道路がクルマで埋め尽くされたような大渋滞はなかったのでしょうか? 画像の限りでは、新宿駅付近でも隙間十分に見えて隔世の感ありなのですが…。
杉並線1でもそれらしいクルマが写っていますが、都電の前を行く軽自動車はマツダのR360でしょうか?
この時代の、精一杯洒落っ気を持たせようとしたデザインが好ましいです。
日本車は言わばバロック時代(バロック=いびつな真珠)の、不正確な美しさとでも言えましょうか。
ブレーキをかけると、いかにもカックンといきそうな不安定さがなおさらです。(実際にこの時代は、かの故・徳大寺有恒さんが「フワフワの乗り心地、フラフラのステアリング、カックンブレーキ」と形容する、ひどい代物だったわけですが…。)
バロックの後には「ロマン派」を迎えますが、技術的にはまだまだでも発展の時代となるのは、奇しくも芸術史と一致すると思います。あのいすゞ117クーペ、美しいボディラインは工場のラインではできず、職人の手作業で叩き出していました。(ハンドメイドと呼ばれ、今ではプレミアム物ですね。)
今、時代は全てに熟成を成し、クルマのみならず完成・洗練されたモノが当たり前になっていますが、同時に失った物も多いと思います。 だからクルマにしろ鉄道車両にしろ、古い物に惹かれるのでしょうね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
軽自動車はマツダR360クーペだと思います。
後部席にも子供が乗れる4人乗りで後部席に乗ったことがありますがよい思い出になりました。
こんな小さな車はあっという間に終わって大衆車カローラやサニーが買える時代がすぐ来ました。
今はあらゆるモノに満足でき何でも当たり前になって、失った一つに昔あった感受性があるのでは。
もうモノに対しては昔あったような感激や喜びが湧いてきませんね。
粗末なモノでも喜び楽しめたのがあの時代でした。

Cedar さんのコメント...

都電とクルマがギリギリ共存してた時代ですね。
記事の中にも記されてるようにサニー、カローラの時代には電車が邪魔者扱いになりました。
ラストの一文に激しく納得!

katsu さんのコメント...

Cedarさん
お久しぶりです。
昔あった感激の1例として、私は模型なら鉄道模型趣味120号に紹介された「名奈信野 言辺江鉄道」があります。
Cedarさんもブログで取り上げたあの鉄道模型趣味誌の記事は衝撃的でした。発表が1958年だったのですね。

今の時代のファインスケール模型から見ると、つぼみ堂のBタンクなど車両も16番ゲージも実にお粗末な模型。なのにあの時代に夢中になったあの感動・感激は大変なものでした。
どんなに高級モデルの時代になっても、あのような模型の楽しさは湧いてきません。
これは一体なんでなのでしょうか?
飽食の時代により失われてしまった感動や感激や楽しさだったのでしょう。