案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年4月27日日曜日

昭和37年頃の小田急(続) 

小田急電鉄で昭和30年代の喜多見~和泉多摩川あたり風景を以前アップしたことがあります。

あの頃の小田急 (1964年7月)
昭和37年頃の小田急 (1962年9月)

昭和37年の小田急で更にこの1枚を見ると、喜多見駅周辺の田畑、遠くに高く延びる木立ち、低い民家の佇まい、殺風景な光景を照らす茫とした日差しなど、子供の頃の淡い思い出と伴にこの時代特有のものを感じてしまう。私鉄郊外電車は高架駅ではなく地上駅に愛着を感じるのはこんなところから来ているのかも知れない。

喜多見駅の風景 1962年9月


多摩川を渡る貨物列車. 和泉多摩川

多摩川を渡る1400の3連. 和泉多摩川

ED1011  成城-喜多見 1962年12月
 
貨物列車とうっそうとした喜多見の木立. 成城-喜多見 1962年12月

ED1041   経堂車庫  1962年9月

6 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

ワフやトフをくっつけた貨物列車の後追いは郷愁を誘います。

戦後の復興期から、多くの大手私鉄で川砂利輸送が行われていましたね。
それぞれに個性的なトフがしんがりを務めていましたが、オリンピックを機に川砂利採取が禁止になり、トフの出番は劇的に減りました。

ヨーロッパの古い無蓋車に見られる、車端に手用ブレーキ手用のデッキと覆いを設けた "トフもどき" は一般的ですが、日本では貫通式の空気ブレーキが普及した後も生き残ったのは、簡易車掌車という意味合いがあったものと思われます。凸トフは日本独特のものです。

幸運にも相模鉄道のトフが1両だけ保存されています。

katsu さんのコメント...

#9999さん
確かにあの頃は大手私鉄でも砂利輸送がよく行われていました。
小田急の貨物列車もありふれた日常風景で殆ど無視してしまいましたが、
いろんなタイプの電機がいて変化に富んでいました。
今では小田急にこんな貨物列車が走っていたのが不思議に思えます。
小田急のこのトフは模型を作ったくらいで日々よく見掛けて馴染んでいました。

Cedar さんのコメント...

小田急の貨物列車は砂利列車、東北沢のホッパーに入って行く姿は今では幻想だったかと思います。それほどに沿線が激変しましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
東北沢の先に砂利ホッパーがあったという認識はないのですが、
おぼろげな記憶があるような無いような??
幼い頃から新宿までよく乗っていたので車窓に見ていた筈ですが、
遠い昔のことで記憶が飛んでしまったようです。
まさに幻想です。

Cedar さんのコメント...

東北沢の新宿寄り、新宿に、むかって右手でした。開業時からあったようです。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ネットで調べたら貨物列車とホッパーが写った写真がありました。
http://rail.hobidas.com/photo/archives/2006/03/10311900_1.html

この区間の立体工事が開始される1972年まではこの砂利ホッパーの側線が存在していたそうでね。
私も見ていた筈ですなのに、どうしても思い出せません。