案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年4月29日火曜日

渋谷玉川改札の昔

学生の頃、井の頭線から都電34番への乗換えで日々この写真のところを歩いていましたが、山手線の改札口がここにあったことは覚えていても正確な事までは記憶になく、今ある渋谷玉川改札の位置は昔あった山手線改札口の位置と同じと言えるかどうか?

① 1969年に玉電渋谷駅から山手線改札口方面を撮っが、混みあう人の流れの向きからすると柱3左下の位置に今の渋谷玉川改札より間口が狭い山手線改札口があったのではないでしょうか? (写真上)
② そして昔の写真の柱3は、今の玉川改札の右脇にある柱3ではないでしょうか? (写真下)

玉電渋谷駅から山手線改札口(推定)を見る.柱1に架線末端がある梁1が繋がる.1969年4月

今の山手線渋谷玉川改札. 2010年

5 件のコメント:

宵闇 さんのコメント...

もう今年で廃線から45年になりますね。

玉電渋谷駅の電照式の車止めが良い味出しています。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
本日これからテレ朝のスーパーJチャンネルで17:30頃から渋谷のここを取上げる予定です。

上馬真中 さんのコメント...

はじめまして。
 私は、大橋車庫近くの東邦大学附属病院で生まれ、「真中電停」近くで育ちました。
残念ながら幼少期に玉電が廃止になってしまい乗車した記憶はありませんが、街並み
など懐かしく拝見させていただいております。

お写真のうち、
 駅構内(玉電ビル)の「梁3」の位置ですが、玉電側から見た写真の図示の位置は
もう2柱くらい(写真向かって)奥のように思うのですが・・・

 いわゆるビルの端が国鉄玉川改札だったので、柱巻きの電照広告の位置関係を見て
も図示の位置ではかなり手前に見えてしまいます。

 廃止後、玉電がビル内に入り込んでいた場所がいつまで東名高速バスの発着所で
あったかは記憶にありませんが、なんとなくそんな気がしたのでコメントさせてい
ただきました。

 失礼ありましたらご容赦ください。

katsu さんのコメント...

上馬真中さん
コメントありがとうございます。
今の山手線玉川改札と昔を対比したのは柱であって梁ではないのですが。
柱3の位置の今昔対比ではないでしょうか。

柱の位置の対比、そうだとすればご指摘のとおりかも知れません。
渋谷駅の改札前でカメラ持ってうろうろ天井を調べていると怪しまれるので、
推定であり自信はありませんでした。
じっくり腰据えて現場を調査できると楽しいのですが今は厳しい時代ですね。

上馬真中 さんのコメント...

すみません、ご指摘のとおり梁ではなく「柱」でした。
失礼しました。