案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年8月26日月曜日

金石線 金沢駅裏手にあった中橋駅(続)

金石線中橋駅 1964.12.31

金石線の始発駅中橋は金沢駅の裏手にあり国鉄と貨物連絡線がある興味深い駅でした。
駅は北陸本線と金石街道に挟まれた狭苦しい一角にあったようです。国鉄裏手にあり国鉄線路に対し直角に線路が延び、貨物連絡線がある地方私鉄の始発駅は珍しくもなかったが、中橋駅の場合は限られたスペースでいかに線路有効長を確保するかを考え独特の線路配置になったと推定されます。

中橋駅は金沢駅や金石街道に対しどんな位置関係にあったのか、カーブポイントが多い構内線路配置はどんなであったのか、今までアップしてきた写真を並べて線路配置を割り出し、さらに北陸本線、金石街道との角度・位置関係を推定してみたのが下図です。

駅の入口は街道に面していたのでしょう.

駅ホームに対し駅舎の配置が微妙に傾いている. 発車待ちのモハ3003

クハ1101+モハ3005の2両分程度のホーム長. 

国鉄金沢駅構内へ繋がる貨物連絡線

直線に延びる線路をやってきたモハ3003

次々やってくる魅力溢れる電車 モハ3005

ホーム脇にある車庫へ分岐する線路

13 件のコメント:

H.Kuma さんのコメント...

中橋駅の線路配置、実に魅力的で面白いですね。
こういうギュッと詰まってカーブの多い構内は大好きです。
敷地を正方形に切り取ると、そのままセクションレイアウトになりそうですね。

歩鉄の達人 さんのコメント...

おはようございます。
金石線は以前に廃線探索をしたことがあります。
金石線中橋駅跡に公園が有りますが、現在は面影が全くありませんね。

chitetsu さんのコメント...

中橋駅構内配線図、興味深く拝見しました。
昔から気になっていたこの駅の様子がだんだん分かって来ました。
実に狭苦しい中に凝縮された構内だったのですね。
Kumaさんのコメントのように模型にしたい風景ですね。
配線図掲載、ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

H.kumaさん
駅の構内を作ろうとすると、私には線路を直線的に平行に並べてそれらをポイントでつなげる発想しかありませんでした。この中橋駅のカーブで構成された線路配置は正にセクションレイアウトになりそうで線路並べるだけでも楽しそうですね。

katsu さんのコメント...

歩鉄の達人さん
おはようございます。
Googleストリートビューでこの一角を見たのですが、金石街道が大きな道路になって当時の面影は全くありませんね。中橋と北陸本線の間にあったお寺が、廃線後の駅敷地を飲み込んでしまったような気がします。
駅を出て北町へ向かう線路カーブが今の道路のカーブに面影を残していますね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
中橋の線路配置を見るたびにchitetsuさんのフレキポイントを解体してカーブポイントに仕上げる手法が目に浮かびます。狭隘なスペースにカーブポイントで構成された駅構内と車庫はchitetsuさんの手に掛れば線路はあっと言う間に敷けてしまいますね。

SME さんのコメント...

こんばんは。 写真のクハ1101もよくよく見ると出自が謎に思える車両ですね。

 連結面側の窓2つだけが「中桟有り」で、残りは江ノ電さながらの「落とし窓」・・。まるで、自社工場で車体延長したかのような雰囲気がありますね。 

 個人的に小松線にいたサハ301がツボです。井笠のハ15を思い出します。

katsu さんのコメント...

SMEさん
中橋の駅で発車待ちのクハ1101は元ガソリンカーかと思いましたが石川鉄道(後の北鉄石川総線→石川線)の木造電車だったそうです。
昭和39年の姿は石川線から転属した直後だったのですね。
石川線で古い電車から自社改造された正面はいかにも北陸鉄道風の雰囲気が溢れていますね。
北陸鉄道小松線にいたサハ301はサブロクでは異色中の異色で凄い珍品と思います。
昭和37年にまだこんな車両が在籍していたことが驚きです

匿名 さんのコメント...

突然の投稿、失礼致します。かつてこの北陸鉄道金石線沿線に住んでいたものです。偶然このブログを見つけ、写っている景色が大変懐かしく、特に中の一枚には、高校生になるまで住んでいた、家が写り込んでいたため、なお驚いてしまいました。このような画像を見ることができ、大変うれしい思いで一杯です。誠にありがとうござました。(hiro)

katsu さんのコメント...

hiroさん
コメントありがとうございました。
金石線風景で高校生になるまで住んでおられた家が写っていましたか。
昔の写真に知っている人が写っていた! 住んでいた家が写っていた! などを最近よく連絡戴くことが多くなりました。
鉄道にまつわる嬉しいお話で大変有りがたく思っています。
あの時代の金石線で何か話題がありましたらご連絡下さい。

hiro さんのコメント...

たまたま写真に写っている時代は小学校の低学年でした。家のすぐまえが「長田町」の停留場で、小さい頃、高校生のお兄ちゃんやお姉ちゃん達が多く乗り降りしていました。当時、金石(かないわ)海水浴場というのがまだあり、この電車に乗って親に連れて行ってもらいました。ただ、住んでいる途中で廃線になったのではなかったかと思います。

hiro さんのコメント...

サハ551という車両が単独で写っている写真がありますが、本線から外れて貨物を積むためのヤードのようなものがあった場所です。写真で言えばもう少し左よりの位置に留められていることもあり、自由に乗り降りができたため、中に乗り込んで遊んだりしていました。ある日、たまたま知らないおじさんが、カメラを持ってきて確か電車の窓から顔を出している写真を撮ってくれた人がいました。katsuさんだったかどうかは分かりませんが。

katsu さんのコメント...

hiroさん
金石線の思い出をありがとうございました。
確か長田町の駅は住宅街を抜けて金石街道へ出たところですよね。
工場の引込線もあったようで中橋から長田町へかけては模型のようで大変興深い区間でした。
海水浴行き電車や通学の高校生そして遊び場の客車など、そんな思い出の風景はまるでジオラマのテーマのようです。