案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年4月26日金曜日

雄勝線 西馬音内~湯沢

秋田の米どころを走っていた羽後交通雄勝線。先日、地元の方々の湯沢facebookを拝見し、またあの夏の光景が懐かしくなりました。訪問した1964年の後、雄勝線は動力変更で電車を気動車と入替えて非電化線として生き延びるという運命をたどり1973年4月に廃線となりました。

1964年夏の夕方、湯沢から西馬音内まで乗って西馬音内の車庫で美しく保守整備された車両達に驚き、予定変更し翌朝また湯沢から出直して順光で車両達を撮るという惚れこみようであった。驚異的な車両の保守整備は会社と鉄道マンの心意気であったのでしょう。

しかし、その後の雄勝線は動力変更で電車をやめて気動車に入替え、あの美しい電車や客車の殆どが不要となり、西馬音内の駅舎は取り壊されプレハブ小屋に、電車区車庫も取り壊され、西馬音内駅は仮ホームとなる。あの素晴らしい夏の日の光景が廃線を迎える前に一変した光景になってしまったのを今になって知りました。1964年は乗客がピークの時代であったそうで、この後の急激な時代の変化に雄勝線も飲み込まれてしまったのでしょう。電車から気動車になっても変わらなかった筈なのが沿線風景。電車時代の西馬音内から湯沢まで風景をつないでみました。


味わい深い西馬音内の駅舎.  1964.08.06
この駅舎はその後取り壊されプレハブ小屋となってしまった.

西馬音内駅では古典客車ハフ14に既に乗客が乗っていて梺からやってくる電車を待っている.
梺から電車が到着すると電車は貨車+古典客車を牽いて湯沢へ向けて発車した.
非電化線となって西馬音内は仮ホームとプレハブ小屋だけの駅になってしまったようだ.

残念なことに次駅「あぐりこ」のあぐりこ稲荷に由来する神社風づくり駅舎は撮ってなかった.

美しい古典客車を牽く列車同士が交換する羽後三輪駅.


西日を浴びて湯沢へ向かう古典客車のデッキが心地よかった. 貝沢

美しい田んぼがどこまでも延々と続く. 羽後山田 - 貝沢.

羽後山田. 駅を発車すると右にカーブして西馬音内へ向かう

雄物川の鉄橋を渡る.  湯沢 - 羽後山田

湯沢の街を背に発車した電車は夕方で家路を急ぐ乗客で満員であった.

国鉄奥羽本線湯沢駅に隣接した雄勝線のりば.

大衆食堂、駅前旅館、羽後交通乗車券発売所がある湯沢の駅前通り.
この日は湯沢の七夕まつりで朝から賑やかであった.

参考: RM ライブラリー 第52巻 羽後交通雄勝線 -追憶の西馬音内電車-

10 件のコメント:

ぱす さんのコメント...

「新日本紀行NHK」の再放送で「ニシモナイは何も無いと云われる」とナレーションがあり、客車が有蓋貨車を随えた夏の映像をテレビで観たことがあります。

katsu さんのコメント...

ぱす さん
NHKの新日本紀行で放送されたのですか。
それは見たかったものです。
雄勝線沿線には何も無しは正にその通りですね。
湯沢から初めて雄勝線に乗った時の第一印象が電車ののろさと沿線何も無しでした。
何も無い沿線で田圃の美しさに気付いたのは翌日の朝でした。
そして各駅の駅舎の魅力に全く気付かず誠に残念な事をしてしまいました。

moro9 さんのコメント...

katsuさんの雄勝線いいですね~ 私はここをトロリーワンダーランドと名付けましたが、
ポール集電好きのファンには涙の出るような路線でした。
私はkatsuさんの翌夏に、ヤシカA型二眼レフを携えて西馬音内を訪ねました。
木造の単車や客車群に魅了され、おへそライトの西武流れの電動車も素敵でした。
もっと東京に近ければ、春夏秋冬通ったものを…と夏の日の暑さを感じる作品を観て
つくづく思っております。

katsu さんのコメント...

moro9 さん
雄勝線はほんとうに感動の路線でしたね。
まだ元気あった雄勝線でポール電車が活躍していたのが幸運でした。
どの車両も魅力的でこれほどの路線は他に見た事がありません。
季節ごとに変わる沿線の雰囲気に車両がよく似合ったでしょうね。
電化線を止めて横荘線の気動車が入線し、それまで電車や古典客車を
保守して来た達人はその後どうしたのか気になるところです

伊豆之国 さんのコメント...

ポール電車も映像に出てきた「羽後・西馬音内」というタイトルの「新日本紀行」の番組は、私が小学何年の頃だったかに見たことがあります。「ニシモナイ」というアイヌ語的な響きを持つ難読地名を、この番組で知ったのでした。雄勝線がポール電車からディーゼル車に代わったのは、昭和46年7月で、直前に廃線になった横荘線車両の転属で、雄勝線はそれから2年と経たず48年3月限りで廃線になっているので、その当時既に雄勝線の廃線も時間の問題になっていて、電化停止は、間近になった鉄道全廃に向けた、いわば「資産整理」の一環になっていたような気もします。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
新日本紀行を見られましたか。小学生の頃に見られたのは昭和43年放送の新日本紀行「羽後・西馬音内~秋田・羽後町」30分ですね。番組の解説によると「秋田県南部の穀倉地帯に位置する、羽後町・西馬音内(にしもない)地区。そこに古くから伝わる盆踊りは、独特の衣装で知られている。都会から、お盆に帰省する若い女性とその一家を主人公に、短い北国の夏を描く。」という内容で私もかすかな記憶があります。カラーだったそうでお宝映像と思います。NHKアーカイブスとして再放送されたのが平成12年8月の深夜だったそうです。

廃線直前の西馬音内駅が何で仮ホームや仮建屋になったのか? 理解できなかったのですが、電化停止と伴に全廃へ向けての整理の一環であったならなるほどと思います。車庫もそっくり無くなっていた光景にはショックでした。西馬音内電車区が輝いていた時代の光景をアップしました。

Cedar さんのコメント...

雄勝線は中学の頃、ファン雑誌で見て憧れていましたが、ディーゼル化から廃止となるまで訪問叶わずでした。
電車の写真も良いですが、ラストの町並み写真が素晴らしくて~新日本紀行のあのテーマソングが聞こえてきそうです。

chitetsu さんのコメント...

涙ものの写真の連続、感動的です。
この電車風景、素晴らしいですね。
西馬音内の駅舎、正面側は何度か見たことがありましたが、ホーム側駅舎写真、初めて見ました。
正面側とは随分と違うのですね。
横手の街並も良いですね。
貴重なお写真、ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ラストの湯沢の街並を楽しんで戴けたら嬉しいです。
仙台の七夕は沢山撮ったのに、小規模の湯沢の七夕は殆ど撮っていませんでした。
全く逆で湯沢の街並を沢山撮っておけば50年後にもっと楽しめたのですが。
羽後交通では、エンジンの横荘線と、電気の雄勝線を趣味対象で比較すると、
いつもCedarさんが言われる通り、いかに電気鉄道の方に魅力があるかが分かります。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
西馬音内の駅舎を初めて見た時は駅名のせいか馬小屋イメージを感じてしまいました。
駅舎や街は何もかもがくたびれた風景に思えてしまい、その時は西馬音内の街の素晴らしさに気付きませんでした。
後になってNHK新日本紀行でその魅力を知ったのかも知れません。
当時、全国どこでも見られたその時代が判る街並み、この魅力に気付いたのはつい10年くらい前でした。
chitetsuさんの「古い建物と街並をもとめて」のように建物を撮っておけば今どれだけ楽しめたことか。