(車両の解説は秩父鉄道-Wikipediaから引用)
クハ600形+デハ500形 と ED381 熊谷 1965.05.30 クリック拡大
デキ7 1977年廃車
1925年(大正14年)、秩父セメント(当時)秩父工場の操業開始に合わせてイギリス・イングリッシュ・エレクトリック(デッカー)で製造されたデッキ付き箱形B-B機。同型車は東武鉄道(ED10形)にも存在した。
デキ3 1984年廃車
デキ1 1988年廃車
1922(大正11)年に同鉄道が電化されたことにより、それまで蒸気機関車に頼っていた石灰石輸送を電気機関車に転換するため、デキ1 - 5の5両がアメリカのウェスティングハウス・エレクトリックで製造された.
ED381 1988年廃車
日車1930年製で阪和電気鉄道ロコ1000形として製造され、国有化後1952年に改番されて国鉄ED38形電気機関車となり、1959年に秩父鉄道へ譲渡された。
デキ102
秩父鉄道デキ100形電気機関車は、第二次世界大戦後に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、デキ101、デキ102 - デキ106、それにデキ107・108の3グループに分類される。
デキ201. 非電化国鉄八高線と並走する石灰石輸送列車
東京オリンピックの前年1963(昭38)年の建設ラッシュでセメント需要が増加したことから3両(デキ201 - 203)を日立製作所で新製した。デキ100形に較べモータ出力を増強。車体はデキ100形と同様の前面に貫通扉を設けたデッキ付きの箱形車体であるが、丸みが増して前面窓が上下方向に小さくなり、窓上にヒサシがついた。また前照灯が2灯になって大型のライトケースに納められている。
6 件のコメント:
昭和45年3月16日のこと、キハ2002で熊谷~妻沼間を往復して熊谷に戻ると、ホームから少し離れたところにED383が片パンを上げて停まっており、ホームの詰所で撮影許可をお願いすると「気を付けてどうぞ」で近づいて撮影しました。
この時、キハ2002はブタ鼻になっておらず、塗装は窓回りオレンジの東武カラーでした。妻沼で折返しの発車待ちの時、運転士の方から話しかけられ「京都から乗りに来た」と言うと、不思議そうな顔をされました。
座席は扉間が戸袋部を除きクロスシートでしたが「ゆりかもめ」並みの狭さでした。廃止後、東船橋駅の近くに置かれているのが車窓から見えましたが、いつの間にか無くなってしまいました。
鹿島鉄道のキハ431、432は、加越能鉄道時代からロングシートで、ワイパーの取付け位置が異なります。キハ432の正面の窓が少し小さくなっているのが気になります。
T.Fさん、熊谷駅の思い出をありがとうございました。
熊谷線のキハは私が見た5年後は窓回りオレンジの東武カラーに変更されていたのですか。これも最後のクリーム一色よりはずっと良いですね。
熊谷線は私は車で行ったため乗車していませんが、鹿島鉄道では乗りました。あの乗り心地とエンジン音と木の床が忘れられません。
熊谷線と比べると確かに鹿島鉄道のキハは正面窓が小さく田舎くさい感じですね。改めて熊谷線キハの顔を見ると大変スマートに見えます。元々の美人顔をだいなしにしてしまったようです。
初めまして。
いつも興味深く拝見させてもらっています。
ED38とデキ1は三峰口駅に保存されていて、今でもその雄姿を目にすることができますね。
保存状態が良いとは言えませんが…。
デキ102とデキ201は、塗装変更があったものの今も現役で走っています。
また、松尾鉱業からやってきたデキ107・108もまだ現役ですね。個人的にはこちらの顔の方が好みです。
現役の機関車たちには、これからも末永く元気に走ってもらいたいものです。
Orangeさん、はじめまして。
50年近い昔に見たデキ102とデキ201が今なお現役でしたか。凄いですね。
懐かしい電機に会いに行きたくなります。
西武線沿線に住んでいるので秩父鉄道はほんと身近に行ける鉄道なのに全く行っていませんでした。
三峰口駅にはいろいろ保存されている話をよく聞きます。50年近くご無沙汰の秩父鉄道に行ってみようと思います。
貴重な写真をありがとうございます!
唯一運転したことがあるのはデキ201ですが、下品な塗装・シールドビーム・スノープロウなし・・・の現在版。昔の方が断然カッコよかったですね。
私事ですが、最近ハンドルを奪われてしまったので、写真を拝見していると感傷的になってしまいます。
電車おやじさん、
コメントありがとうございます。
デキ201を運転されたことがあるのですか。
私は現状のデキは知りませんが当時のデキ201を写真で見ると中々精悍ですね。
今なお現役であるのが素晴らしいです!
次回は僅かしか撮ってませんが当時の電車をアップしようと準備しています。
コメントを投稿