案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月11日水曜日

宇野の小鉄道 造船所裏の箱庭風景

大聖寺前と三井造船所前の駅の間では小さなストラクチャーや山川を寄せ集めた
まるで模型の箱庭のような風景が見られた。

造船所裏の車庫の脇に張りついた小さな駅。
ポイントが3基ある小さな車庫。
造船所と川の間の狭い土地に敷かれた線路。
大聖寺の山の下のカーブに設けられた小さな駅。
線路に沿って流れる白砂川、鉄橋、踏切、そしてトンネル。


大聖寺前   1969.5.6
造船所の裏手にある大聖寺駅は見る方向で様々な表情をしていた。

トンネルを出ると民家の間を走る.  大聖寺前-玉野保健所前


大聖寺前-三井造船所前


造船所裏の側線に放置された元野上電鉄の小さなクハ201. 大聖寺前-三井造船所前


造船所と車庫の間に小さな駅 三井造船所前がある.


造船所裏の車庫の中ではキハ104が休む.  
元熊延鉄道のヂハはキハ102~104の3両が在籍していた。


国鉄宇野駅の片隅にあった「玉野市営電鉄のりば」 ここから小鉄道が出発する。
電鉄の名称が残っているが、この5年前に電気→内燃に切り替えていた。

10 件のコメント:

M.B. さんのコメント...

はじめまして。M.B.ともうします。
「福島交通軌道線」の検索で辿り着きました。

地元・福島市にも、私が生まれていない頃に走っていたと聞いた事がありましたがその詳細を知ることができて嬉しく思います。
初めてみる風景ですが、現在の面影もありどこか懐かしい感じが致します。
是非両親をはじめ、地元の親戚にも見せたいと思いますので、福島交通軌道線の写真を数枚印刷させて頂く事の許可を頂けませんでしょうか?
インターネットやスマートフォンなど使えない世代の方達ですので、どうしても印刷してあげる必要がありますのでご理解を頂ければと思います。
決して商用利用とかは致しません。
よろしくお願い致します。

Cedar さんのコメント...

前回に続いて素晴らしい!結構変化にとんだ路線だったのですね~
電車屋としては架線がある頃の姿をついつい想像してしまいます。
結構なものを拝見できて感謝です!

katsu さんのコメント...

M.B.さんはじめまして。
小ブログを見て戴きコメントありがとうございました。
福島交通軌道線の写真がお役に立てられれば嬉しいです。
使用目的などご依頼の連絡があればOKしますが、
ご依頼はメールで戴くとありがたいです。
画面右下にメールのボタンがありアドレスが表示いたします。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
とても短い路線でしたが楽しさ満載の鉄道でした。
これだけ小じんまりしていると撮るのがラクで楽しめます。
電車時代を見る事が出来なかったのですが電車の方が似合っていたのかも知れません。
琴電に行ったのを見ると結構立派な電車だったようですね。

青蛙 さんのコメント...

トンネル抜けた風情はいいですね。
一連の写真はこれぞ地方私鉄のだいご味を十分
見てとれますね。この時期は北海道の私鉄、路面電車、炭鉱の鉄道を見て回っていましたので中国地方の鉄道は新鮮に感じます。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、
北海道は広くて疲れたことでしょう。
中国地方のこの玉野市営は青蛙さんが好きそうな小私鉄でした。
営業キロ数が短く車両も4両であり、車両や沿線各所をどん欲に撮りまくる必要もなしでした。
今もこんな鉄道があると楽しいのですが。

匿名 さんのコメント...

初めまして。玉野市出身の者です。懐かしくて涙がでそうな写真でした。鉄道好きにとって、瀬戸大橋開通前の宇野はとても楽しい駅でした。あの小さな鉄道を取り上げていただき、ありがとうございました。

katsu さんのコメント...

匿名さん
コメントありがとうございます。
玉野市出身の方にそう言って戴くとブログにアップした甲斐があります。
瀬戸大橋開通でいろんなものが大きく変わったのですね。
のどかな時代のまるで模型箱庭のような玉野市営を見れて私も幸運でした。
今後ともよろしくお願い致します。

Unknown さんのコメント...

1961年生まれの私にとって原風景です。小学校時代の両親や祖母、友人の笑顔がフラッシュバックしました。ありがとうございます。

katsu さんのコメント...

Unknownさん
コメントありがとうございました。
玉野市営はとても素晴らしい鉄道で、
私も大変印象に残る風景でした。
もう一度、玉野の記事を再構築してみたいものです。