案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年6月15日水曜日

駿遠線 大井川の木橋

昨年11月3日「駿遠線 御前崎を行く」で榛原町の手前で終わってしまったが、更に東海道線 藤枝方面に向かうと「越すに越されぬ大井川」に延々と架かる木橋を渡る。大井川が氾濫するたびに木橋は損傷し駿遠線にとって大きなネックとなっていたそうだ。よくぞこんな巨大な木橋が1966(S41)年にまだ使われていたものである。この2年後1968(S43)年8月この木橋がある大井川~堀野新田間が廃止となり、その直後に増水で木橋は流出した。

片浜 - 榛原町 1966.9.23

大井川橋梁を行く列車. 遠州神戸 - 大井川   1966.9.23    ポップアップ画像
下校時間の高校生を満載して木橋をソロリソロリ慎重に渡る.

遠州神戸 - 大井川      ポップアップ画像



2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

この木橋は電車好きの私も興味惹かれていましたが、訪ねることはなりませんでした。
この高校生たちも記憶に残っているのでしょうか?
それにしてもとなりかかる道路橋の立派さが対照的です。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありがとうございます。
頼りない軽便がよくこんな大きな川を木橋で渡ったものです。乗りませんでしたが客は怖かったでしょうね。
木橋の向こうに東名高速が着工される頃で、木橋は文化遺産のように感じられたものです。