案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2011年3月26日土曜日

雪の尾小屋鉄道3


白銀の山並みへ向けて発車して行く キハ1+ホハフ6       新小松  1968.1.15

バスと同居した車庫風景。 新小松


生き延びて活躍していた木造客車群。 ホハフ1 新小松


3年前に遠鉄奥山線からやって来て、ツートンカラーに塗られたキハ3。 1968.1.15
遠鉄奥山線のマルーン一色に較べ、ツートンカラーが引立つ。
                                                          遠鉄奥山線時代の姿は→遠鉄キハ1803


DC121


ホハフ2

6 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

小松の尾小屋鉄道、北陸鉄道小松線に行きながら、訪問せずでした。当時は架線が無いと萌えない頑固ものだったので。
遠鉄殻来た気動車はオリジナルの番号1803だったのがはっきりわかりますね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
そうでしたか。
私は逆に小松では毎回尾小屋の車両に夢中になり、隣の小松線は乗らずじまいで惜しいことをしました。小松線は車両や駅が中々味わいのある鉄道だったのを後になって知りました。私は小松線を撮ったのは真夏の車両だけです。

匿名 さんのコメント...

この頃の鉄道車両は個性的でいい味出していますね。それこそ一両一両異なったデザインみたいで、しかも暖かみのようなものも感じられます。

私は当時のことをよく知らないのですが、尾小屋鉄道に限らずこの頃のデザインの車両が登場した時どのような印象を人々は受けたのか興味があります。今の車両は一部の例外を除いて没個性的でつまらなく感じております。

katsu さんのコメント...

コメントありがとうございます。
1960年代頃まで活躍していた地方私鉄の車両は確かに個性豊かでしたね。
最近の車両は一部を除き個性が無くなってしまったのは、技術やデザインの進歩で画一化し機能美が失われた事もあると思います。
妙にデザインされた車両よりも、昔の車両のしっかりとした機能美の方が魅力的なことはよくありますね。

その地方、その鉄道での必要性から生まれた仕様・デザインには魅力的な個性が溢れていました。

岡村順一郎 さんのコメント...

軽便らしいナローゲージが次々と消えていくなかで、比較的遅くまで営業していた尾小屋鉄道に、私は昭和48年の正月休みを利用して乗ったのを思い出しました。
DC121はB形でもよさそうな小さな車体ながら、軸重軽減のためか間隔を空けず3つ動輪がロッドで連結され、車体も古さを感じました。残念ながら正月につきDCの単行のみの運転だったと記憶していますが、その3両のDCもそれぞれユニークな形状で、適度の雪が積もり軽便ムードを満喫した一日でした。

katsu さんのコメント...

岡村さん
古い記事にコメントして戴きありがとうございました。
何か調べる台帳に使う以外はアーカイブは開くこともないので、
こうして昔に書いた自分の記事を見ると、他人の記事のようでとても新鮮な気分になります(笑)
軽便は四季折々の風景が楽しく、雪のシーズンなんかも良いですね。
時代が進めば進むほど、こんな軽便鉄道の輝きが益々増大してくるような感じがします。