案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年7月10日火曜日

宇野の小鉄道(リニューアル)

玉野市営電気鉄道。
宇高連絡船の宇野駅から、玉遊園地前駅まで4.7kmの小鉄道。
海と山に挟まれた狭い街を通り抜け、まるで模型の箱庭のような感じであった。
経費節減で動力が電気から内燃機に変更され、熊延鉄道の廃線でやってきたキハ102、103が往復していた。1972年に廃止された。



宇野から来て右にカーブするところに玉駅があり、そこから終点に向かって川に架けた軌道を行く。 1969.5.6



川の上を行く気動車.終点の遊園地前は何もない行き止まりであった。


終点の玉遊園地前

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

この時代はよく中国・四国地方を回られたのでねぇ。玉野市営などは行ってみたいところでした。よくぞ風景にマッチした味のある写真を撮られています。この鉄道にこのような風景描写した写真はお目にかかっていません。興味津津。青蛙

t7marimo さんのコメント...

私は1969年の2月に初めて四国へ渡り、帰路ルートの途中で玉野市営へ寄りました。しかし、しかしあまり関心はなくちょい見だったようで、残っている写真を見ると、車両中心の中途半端な風景写真が数コマあるだけでした。
このような素晴らしい風景描写は、鉄則のロケハンをしっかりやって得られたのでしょうね。

katsu さんのコメント...

青蛙さん、t7marimoさん
コメントありがとうございます。
marimoさんの1969年2月の四国訪問は、私と3か月違いですね。
私も玉野市営は四国の帰路でした。高知からの夜行で疲れていて、それほどロケハンもやらず気ままに撮りました。先日プリントして、こんな風景だったのかを始めて知りました。

Cedar さんのコメント...

なんともユニークな沿線風景を上手く撮影していらしゃるのに感心しました、特に玉駅の構図など模型的で痺れます!
ここの電車が内燃化後、海を渡った高松での姿はカメラに収めました。

katsu さんのコメント...

私も何故か玉駅が模型的に感じてしまいます。
子供の頃に模型趣味誌で見た超狭い0番レイアウトの印象のせいかも知れません。
何もかもが狭くて0番にしては極小のレイアウトでした。
これからアップを予定している琴電では、
私も元玉野の770を撮ってありました。
玉野から3両も海を渡ったのですね。

いし さんのコメント...

「いしさんの丸ポスト写真館」管理人です。
現在、使用されている丸型ポストの前に設置されていた、「代用ポスト」が写った写真を探しています。
現在使用されている丸型ポストは昭和24年~昭和44年ですので、昭和12年~昭和40年頃までの写真で丸いポストが写ったものがあれば、一度お見せくださいませ。