案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2010年12月12日日曜日

東野鉄道 廃線跡めぐり 大田原

1966年に撮った大田原の駅と、現在の風景とを比較してみました。

左手の駅本屋~線路~ホームが現在のスーパー、右手の貨物線あたりが現在の道路と推定される。現在あるぽっぽ通りと、今も残る若林肥料店倉庫の蔵の位置は昔のままと思われる。
大田原駅の全景。遠くに那須の山並みがよく見えた。 1966.12.30


大田原駅の本屋と駅前風景。

現在の地図上に、ポッポ通りと若林肥料店倉庫を基準に昔の線路位置を推定したもの。



昔大田原駅があったところはスーパーがある風景に、そして微妙にカーブした道路。'10.12.07

黒羽方面行きホームと、その裏手にあった貨物線。 1966.12.30


右手にある若林肥料店倉庫の前に貨物引込線が延びている。
現在あるポッポ通りから駅へ向ってくる線路は、一直線ではない。

スーパー裏の道路の先に、今も若林肥料店倉庫の蔵(三角屋根)が見える。 '10.12.7

活躍していた頃は大田原を発車し黒羽方面に進み、トンネルを抜け蛇尾川の鉄橋に出る。
あの時(1966年12月)の復旧工事中の橋脚は今も残る。

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