案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2023年9月27日水曜日

雄勝線


撮影:1964.8.6
 田園風景。 羽後山田ー貝沢 



雄物川鉄橋。 湯沢ー羽後山田


2023年9月7日木曜日

三山線 リニューアル(Usuiさんの写真追加)


奥羽本線のC57客列車と並ぶ仙山線の素晴らしきED17。
ここ山形で国鉄左沢線に乗換えて羽前高松へ向かかった。
撮影:1966.3.6

三山線を初めて訪問したのは1966年の残雪がある3月初めだった。
東北私鉄めぐりの全てを終え、秋田で奥羽本線の夜行列車 急行「第2津軽」で上野に向かったものの、郡山で朝を迎えるとまた欲が出てきた。奥羽本線を北へ引き返し高畠線が出ている糠ノ目で下車した。郡山からBOX席で一緒だった若い乗客と糠ノ目までどんな会話だったかが思い出せない。

高畠線を撮り終えるとC57の列車に乗って冬景色の中を更に北上、山形で国鉄左沢線に乗換え羽前高松に到着した頃は心細い夕刻であった。国鉄ローカル線から更に奥へ入る三山線は一体どんな路線なのか、しかしこの時は羽前高松近辺の撮影で体力の限界、この先にどんな沿線があるのかは次回の訪問とした。山形駅に引き返しまた夜行列車の急行「出羽」に乗って上野まで爆睡、東北の旅は終わりとなった。帰還して数日が過ぎると東京では地下鉄東西線が中野まで開通したそんな時代であった。

左沢線羽前高松駅のホームの片隅に「三山電車のりば」の看板を掲げて電車が待っていた。けっこう乗換客がいて電車(モハ110形)に向かっていた。 羽前高松


三山線羽前高松のハイライトとなる駅舎。同好ファンが撮影したこの駅舎の改札側と入口側と内部の写真には驚いた。私が撮った羽前高松の駅舎はこの1点のみ。

では、その感動的な駅舎を撮影したUsuiさんに写真使用許可を戴きましたので、素晴らしい情景写真2点を紹介します。   写真2点の撮影:Usuiさん 1974年7月
三山線の改札口側は何とこんなデザインの駅舎で透明ガラスの窓口が見えます。その先に「三山電車のりば」があり、その先の留置線に電車が休んでいる。

三山線の改札口の向こうにあるのが国鉄左沢線の駅舎。なぜわざわざ三山線の駅舎まで必要なのか? と思ったが三山線駅舎の横に掲げた表示を読むと、
"電車にお乗りかえの方で乗車券をお持ちでない方は出札口でお求めの上ご乗車下さい"
なるほど、ホームに面したガラス窓口は左沢線からの乗換え客がここで三山線の乗車券を買い求める出札口だった。
 
果樹園を見て左にカーブすると羽前高松←に到着する。そこへやって来たモハ106


小さな電車モハ106が次の左沢線列車を待つ。


羽前高松を発車すると電車は工場の脇を進み右へカーブして方向を変え間沢へ向かった。
中央の線路は留置線で、左に分かれる線路は左沢線に接続する。



2023年8月18日金曜日

とさでん 明見橋あたり

 後免町行き電車が高知市の郊外に入ると一変し、川や小高い丘や田畑に沿って曲がりくねった道路の路側軌道がしばらく続く。特に明見橋あたりは花巻電鉄のような軒下かすめる軌道線ムードがあり、砂利に埋もれた軌道がローカルカラー満点であった。このあたりの路側軌道は現在も健在だが、沿線にあった味わい深い建物が消え今はスッキリした風景になっている。



電柱に表示された駅名明見(みょうけん)橋。1969.5.5
よく見ると鯉のぼりが。その下にある旗は高知の風習「フラフ」だそうで、いろいろ図柄があるようだ。


明見橋の裏に拡がる田園風景。



2023年8月15日火曜日

湯野町行の電車


伊達駅前を出た電車は聖光学院前でクルッと向きを変え、東北本線を越えて湯野町へ向かうと明神町まで沿線に人家はなく果樹園と田畑のみ。一直線の道路脇をコトン・コトンかなりのスピードで走る。明神町で道路と分かれて専用軌道に入ると小さな鉄橋を渡り、蔵の横をカーブし温泉町の家並みに入った。湯野町駅に到着した電車は運転手と車掌が入替わり乗客を乗せるとすぐに発車し、雪景色の家並みの中に消えて行った。
福島交通軌道線 1966年12月


明神町~湯野町 1966年12月

1966年の大晦日に訪問した記録や写真によると明神町から湯野町まではカーブがある変化にとんだ専用軌道だった。しかし廃線後の航空写真では軌道跡らしき小径は一直線となっていてツジツマが合わない。この区間の撮影場所で唯一確定できたのは小川を渡るこの一枚↓であった。湯野町を発車した長岡行が小川を渡りその先の直線区間を走って左にカーブすると明神町に到着する筈だ。

夏の湯野町~明神間 1964年7月 撮影:田辺多知夫氏

2023年8月10日木曜日

那須おろしの冷たい風 東野鉄道

 黒羽から代行バスで大田原へ戻る途中、車窓に見えた那須連山を望む運休区間が素晴らしい風景であった。この日検査を終えた元津軽鉄道のDC機関車が試運転でここを走ると聞き暫く待機していたがDC機関車はやって来なかった。
台風で破壊された蛇尾川の橋梁は大田原駅のすぐ近くにあり懸命な復旧工事が真っ盛り。大田原で客数人を乗せた区間運転のキハ501を撮りながら西那須野に戻ると日がすっかり落ちていた。44年後の2010年12月に黒羽近くの廃線跡を訪ねると、那須連山から吹く冷たい風と風景はあの時のままであった。

撮影:1966.12.30
検査上がりで出てきた元津軽鉄道のDC202。黒羽 


運休区間にあった中田原駅。

西那須野~大田原間を一日6往復するキハ501。

影が長くなって日が暮れ始めた頃。西那須野近く


茶臼岳から連なる那須の山並みを背景に大田原へ向かう廃線跡。白旗城址前停留場はこの辺り。2010.12.8

黒羽へ向かう廃線跡。  
廃線跡(道路)の先を右へカーブすると元黒羽駅に到着する。黒羽の町には那珂川が流れ、対岸に那珂川沿いに八溝山へ連なる山並みが続く。2010.12.8

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以上はTMS933号に掲載した「地方私鉄 失われた情景」第4回の後編で現在発刊の準備中です。前編はこんな↓でした。

1966(昭41)年の12月、東北本線西那須野から出ていた東野鉄道を訪問すると、台風で破壊された蛇尾川鉄橋の復旧工事中で大田原から終点黒羽まで運転休止中であった。代行バスに乗って黒羽駅に到着すると駅はひと気がなく静まり返っていた。
那須の山並みから吹いてくる12月の冷たい風、青空の白い雲、日が傾き始めた午後の日差しがさす構内には元2軸ガソリンカーの客車、津軽鉄道からやってきた奇妙なDC機関車、元国鉄気動車などが点在し、けだるい眠くなるような黒羽駅であった。正月明けには復旧して元の黒羽駅に戻ったようだ。



2023年8月5日土曜日

地を這うような客車ハボ

私の車両写真の目的は模型資料で、西大寺鉄道の車庫を訪問した時に真っ先に車両写真を撮ったのは地を這うような客車ハボであった。一体どんな小さな台車を履いているのか? 
軽便の魅力の一つは地を這うような客車で、これを如何に模型に再現するかだけど未だに私の模型は出来ていない。

撮影:1962.7.29
ハボ3


ハボ14


ハボ3の台車.WB840 車輪径420 457(車両竣工図)





西大寺鉄道ハボ 1/87
本日見てきた服部英之さんのジオラマ,レイアウト作品展.

2023年7月29日土曜日

最近の再スキャンより 法勝寺電鉄

米子の日ノ丸自動車法勝寺電鉄。1962年の夏
一時期だけ facebookに投稿したものです。

片上鉄道の後は岡山周辺の小私鉄を訪問し翌々日の夜に広島に到着。広島23:55発の米子行夜行準急「ちどり2号」に乗って米子へ向かった。当時は「ちどり2号」があの木次線出雲坂根のスイッチバックを通過するなど知る由もなく、車中で熟睡し早朝6:12に米子到着した。米子駅の外れで爽やかな朝日を浴びて美しい電車が発車を待っていた。
今開催中の江上英樹さんの「木次線・出雲坂根を盛り上げるスイッチバック展」東京版を見てきました。
撮影:1962.7.31



朝の日ノ丸自動車 法勝寺電鉄。


木次線出雲坂根のスイッチバックをレイアウトで再現。
江上さんの解説とレイアウトの運転で、木次線出雲坂根のスイッチバックの紹介が40分ほど。日本一スイッチバックを愛する男の木次線を何とか存続させたい想いの活動スイッチバック展(東京版)。8月13日まで開催中。

2023年7月27日木曜日

最近の再スキャンより 片上鉄道

先日の再スキャンで61年前のネガは今もセーフだった。 一時期だけ facebookに投稿したものです。
 撮影:1962.7.28


鉱山がある棚原からやって来た列車は山陽本線をオーバクロスし緩やかにカーブして和気に到着する.まだトラック輸送になる前で鉱山の貨物量はけっこうあったようだ.C11-102


和気駅で活躍するC13。


国鉄乗換客で賑わっていた夕方の和気駅。



片上構内のC13。

2023年7月18日火曜日

最近の再スキャンより 頸城鉄道2

頸城鉄道が1968年部分廃線になる直前の夏は最後の活気が見られた。
この数か月後の10月に新黒井~百間町、百間町~浦川原が廃線となった。
貨物輸送をしていた時代で客貨混合長大編成の列車がまだ走っていた。



撮影:1968.8.18

この頃のホジはボギー客車1両と貨物2両を牽いていた。百間町


構内に草が生え荒れ始めた新黒井駅。


ホジの車内。


客貨混合長大編成の列車. 百間町



終点 浦川原駅風景。


待合室の掲示板によると、浦川原から松代(マツダイ)、松之山温泉、十日町などへ向かうバス路線があって、直江津へもバス路線が繋がっていた.1968年ともなれば道路の整備もかなり進んできたと思われる.

2023年7月17日月曜日

夏の清里

清里と言えばあれから50年。あの頃華やかだったアンノン族も今や70代へ、あの女性たちのお孫さん世代が闊歩する今の清里。先日、清里の駅から奥に入った清里フォトアートミュージアムを訪れてみた。


この夏の清里駅。



ディスカバージャパンで賑わった清里駅 1971.8.15

清里フォトアートミュージアムで開催中の写真&ジオラマ展。




初めて見た鯉江さんのアメリカン(1930年代)Oナローの全貌。6つのセクションを結合させたレイアウトで運搬が大変だったと思います。背後の写真はO.ウインストン・リンク氏の1950年代の夜のアメリカン蒸機で、写真展とジオラマが一体となった展示であった。



E200形ハイブリッド式(シリーズ方式)気動車。野辺山
昔のDF50流に言うと電気式ディーゼルカー。