案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2020年3月7日土曜日

加悦の古典車両2

加悦の蒸機などを古典車両の続きで取上げようと思っていたら、
過去に何度も取り上げていましたので今回は加悦の建物や施設としました。
すべて過去にアップしたことがあるもので再掲です。

撮影:1962.7.31 
大江山を望む丹後ちりめんの里加悦町(今の与謝野町)に似合う素晴らしい終着駅 加悦。

 格調ある加悦駅の現役時代 

貨物ホーム上屋。

機関庫の前で休む片ボギー車キハ101 (昭和11年日車製)

機関庫の脇にあった給水塔。 
この日は4号機(大正12年川崎造船製)が煙を吐いていた。

C160、1261、2号機が留置されていたターンテーブル。

一番奥の行止まりにあった給炭所。
ホームの線路の先は昔大江山鉱山駅に至る貨物線が延びていたが戦後閉山し貨物線は廃止されていた。現在は貨物線の道床跡を利用したサイクリングロードがこの風景の先へ向かっている。

加悦の民家が写っているのはこの1枚くらい、加悦の街にカメラを向けず惜しいことをしました。


4 件のコメント:

にぶろく さんのコメント...

写真の20年後に訪問しましたが、
SLが稼働していない事をのぞいて
ほとんど変わっていないと思います。
近代化が急速に進んだのは20世紀末なんですね。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
1972年に気動車キハ083(国鉄客車改造)が入線したことで
加悦鉄道はそれまでのイメージを大きく変えてしまったのではないでしょうか。

にぶろく さんのコメント...

私はキハ08入線後しか知りません(笑)
確かに古典客車やSLは加悦駅の展示物になってましたが、
キハ51、キハ101は現役でしたし
キハ08も加悦でしか見れない貴重な車両でした。
世代間ギャップなんでしょうね。

katsu さんのコメント...

にぶろくさん
世代間ギャップ、ファンの年代により加悦鉄道のイメージが違うはまさにその通りですね。
私はキハ083が入線してからの時代を全く知りませんでした。

1962年に船木鉄道からキハ51が入線した以降も暫くは
DBが牽く古典2軸客車や片ボギー車キハ101が動くことがあったようです。
私はこれらが活躍するのが加悦鉄道と思っています。
派手な朱色に塗られたキハ51は加悦鉄道に似合わないものでした。